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この記事の目次
関羽と孫策どちらが優れているか
関羽と孫策は一介の武将と君主という立場の違いや境遇の違いがあることから比較は容易ではありません。ただ、少なくともわずか数年で袁術から独立を果たし、江東を手中に収めた孫策の手腕は見事という一言に尽きます。
関羽(というよりも劉備勢力)は曹操や呂布といった強敵がひしめくなかで生き残っているので、その当たりは評価できるのですが、孫策は弱小勢力から一気に地方の群雄となっているので、軍事的な才能は孫策の方があったと言えるでしょう。
また、孫策は孫堅の代から仕えている古強者を多く抱えていたわけですが、そういった人たちをまとめ上げる統率力や魅力も持ち合わせていました。
関羽は曹操などの英雄に好かれる能力は持っていたものの、求心力は持っていなかったように思うので、総合的に見ると孫策の方に軍配が上がると筆者は考えます。
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孫策に欠けていたもの
ただ、孫策には君主として圧倒的に欠けていたものがあります。それは人心を掌握する力です。前述したように孫策は江東をまとめる上で多くの人物を殺しています。
直接的な死の原因となった許貢の殺害も同様で、孫策は人の恨みを買いすぎました。これは孫策の性格的な問題なのか、それとも江東の統治を急ぐあまり強硬手段をとったのかはわかりません。
いずれにしても君主としては致命的な欠点を持っていたことになります。ただ、孫策は関羽と同様に君主に仕える身であったとしても軍権を握った途端に暴走して破滅を招いた可能性も高いです。
こうしたタイプの人たちがうまく生き残るためには、諸葛亮や周瑜のように手綱を引ける人物が近くにいてコントロールするしかなかったのではないかと考えます。
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三国志ライターTKのひとりごと
孫策も関羽も英雄気質ではあったものの、油断や慢心という精神的な未熟さが死を招いてしまった惜しい人物です。特に物語の展開的に「もう少し生きていてくれたら」と思ってしまう人物なので、余計に残念な印象があります。
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