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蜀軍の反撃
諸葛亮は魏の進軍が滞っているのを知ると、さらなる行動に出ます。魏延と呉懿を涼州羌中まで遠征させ陽谿で郭淮と費曜らを撃破して魏軍の出鼻を挫いたのです。
朝廷にも、曹真が長雨により進軍に窮している事が伝わりました。元々、曹真の蜀征伐に消極的だった華歆、陳羣、楊阜、王粛は、曹叡に軍を引かせるよう上表、曹叡も無理に蜀を攻め滅ぼす気はなく上奏を受理して曹真に退却を命じます。
こうして曹真の蜀攻略作戦、子午の役は長雨という不運で頓挫したのでした。
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幸運に恵まれた蜀
天候に救われた蜀ですが、さらに蜀に取って幸運な出来事が起きます。大司馬曹真が、長安に帰還してから病に倒れ、翌年3月には病死してしまったのです。
これにより、対蜀の総司令官は司馬懿になりますが、司馬懿は積極攻勢派ではなく、終始一貫して持久戦に出て、蜀軍の兵糧切れを待つ戦法を取りました。こうして蜀は、興勢の役まで大規模な魏からの軍事進攻を免れる事になります。
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三国志ライターkawausoの独り言
子午の役は長雨にさえ祟られなければ、成功していたかも知れない大作戦でした。もし、成功していれば、蜀は建国から10年も経過しないうちに滅亡し、その後の三国志演義は、随分違ったお話になったかも知れません。
しかし、天候というどうしようない運命の前に曹真は泣く事になりました。
参考文献:正史三国志
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