曹真大雨に泣く!蜀を滅ぼす好機を逸した子午の役

2021年5月22日


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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀軍の反撃

韓信vs孔明

 

諸葛亮は魏の進軍が滞っているのを知ると、さらなる行動に出ます。魏延と呉懿を涼州(りょうしゅう)羌中まで遠征させ陽谿で郭淮と費曜(ひよう)らを撃破して魏軍の出鼻を挫いたのです。

 

朝廷にも、曹真が長雨により進軍に窮している事が伝わりました。元々、曹真の蜀征伐に消極的だった華歆(かきん)陳羣(ちんぐん)楊阜(ようふ)王粛(おうしゅく)は、曹叡(そうえい)に軍を引かせるよう上表、曹叡も無理に蜀を攻め滅ぼす気はなく上奏を受理して曹真に退却を命じます。

雨の中進軍する曹真

 

こうして曹真の蜀攻略作戦、子午の役は長雨という不運で頓挫したのでした。

 

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幸運に恵まれた蜀

孔明の計画をぶちこわす曹真

 

天候に救われた蜀ですが、さらに蜀に取って幸運な出来事が起きます。大司馬曹真が、長安に帰還してから病に倒れ、翌年3月には病死してしまったのです。

 

流星を見た司馬懿

 

これにより、対蜀の総司令官は司馬懿になりますが、司馬懿は積極攻勢派ではなく、終始一貫して持久戦に出て、蜀軍の兵糧切れを待つ戦法を取りました。こうして蜀は、興勢の役まで大規模な魏からの軍事進攻を免れる事になります。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

子午の役は長雨にさえ祟られなければ、成功していたかも知れない大作戦でした。もし、成功していれば、蜀は建国から10年も経過しないうちに滅亡し、その後の三国志演義は、随分違ったお話になったかも知れません。

 

しかし、天候というどうしようない運命の前に曹真は泣く事になりました。

 

参考文献:正史三国志

 

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関羽

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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