今回は鍾会を紹介(爆笑ポイント)したいと思います。おっと、どうかクールダウンせずに最後までお付き合い下さいね!
鍾会と言えば三国時代末期に現れ、群雄割拠の時代も終わる所で群雄割拠の時代をやろうとした人物。そんな彼の最大の名言が「劉備にはなれる」というものです。今回はこの言葉について考えてみたいと思います。
鍾会という人物
鍾会は幼少の頃から優秀で聡明な子であったとされています。父親が74歳の頃に生まれた子供でしたが、教育熱心な母親に指導され、教養豊かな人物となりました。
しかし人間性に問題があったのか、王元姫や辛憲英にその野心を見抜かれていたとも言われています。そんな人物が三国志でも一躍有名になったのが蜀平定……後に、姜維と組んで反乱を起こしたから、とも言えるでしょう。
鍾会の生と死
最後に反乱を起こしてから戦死、ということでやたら厳しい評価をされてしまう鍾会ですが、前述したように生前、特に幼い頃は優秀であると評判でした。
五歳の頃にはその才能は並外れているとまで賞された人物です。ここで二十過ぎればただの人とかは言ってはいけません。しかしこれまた前述したように、鍾会は「野心が大きすぎる」と言われており、実際にその野心を達成しようとしたのか反乱を起こし、そしてその生涯を終えました。
野心、散る
その鍾会の野心を知ってか知らずかは分かりませんが、焚き付けたのが姜維です。
姜維は鍾会を焚き付け、魏から独立させ、その上で劉禅を解放して蜀を復興しようとしました。こうして鍾会は反乱の手はずを整えましたが……その手法はやや杜撰と言えます。
反乱のために部下たちを幽閉しておいたために、よりによってその部下たちが暴動を起こしてしまったのです。こうして鍾会、姜維は戦死しました。野心は野心のまま、遂げることなく終わったのです。
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鍾会の強烈な名言
さて、そんな鍾会ですが、強烈な名言を残しています。鍾会を知るものならば一度は目にしたことがあるでしょう。それは反乱前、鍾会が残した言葉。
「事が成功すれば、私は天下を手に入れられるだろう。失敗しても、劉備ぐらいにはなれるだろう」
見ましたか?
凄いですね、鍾会。
『劉備ぐらいには』なんて言っちゃってるんですよ!
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