「劉備くらいにはなれる」と豪語した鍾会、本当に身の程知らずの野望だったの?

2021年5月24日


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鍾会の問題発言(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ぐらいって何だ

土いじりをする劉備

 

さて劉備はその出生は劉氏の一族であり、漢の皇室の一族とか本当かどうかはちょっと分からないような肩書を持ちつつも、

 

法正と劉備

 

それでもあっちで負けてこっちで負けてとしている間に蜀の地を手に入れ、その果てに皇帝を名乗っちゃった人物です。

 

二刀流の劉備

 

あっちで負け、こっちで負けと言っても、そこからなぜか立ち上がって立ち向かってくるのが劉備の凄さ。もっと言うならば狡猾さであり、力なのです。それを「ぐらい」だなんて、いくら鍾会と言えど不遜過ぎでは?

 

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名目

三国志の主人公の劉備

 

と、文句を言いましたが、個人的にはこの「劉備ぐらいには~」という背景には、名目があったと想像しています。劉備は嘗て「漢の皇帝を害する曹操(そうそう)(曹丕(そうひ))を討伐する!漢室復興する!」という名目で皇帝になりました。

 

魏の皇帝になる曹丕

 

誰でも皇帝になれる訳ではありません、そもそも戦うのには皇帝の命令が必要です。

 

司馬昭から蜀の討伐を命じられる鍾会と鄧艾(トウ艾)

 

つまり反乱の名目として鍾会には「魏の皇帝を害する司馬昭(しばしょう)を討伐する!」という名目を挙げていたのではないか、ということですね。だからこそ「劉備ぐらいには」なのだと思います。

 

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鍾会の問題点

鍾会に謀反の疑いを讒言され処刑される鄧艾(トウ艾)

 

ただし、この鍾会の名目には劉備と違って大きな問題があります。鍾会は反乱時、皇帝の身柄を抑えていた訳ではありません。ましてや曹の一族でもありません。

 

野望が膨らむ鍾会

 

これでは名目に対して行動が付いてきていないので……そういう点を見ると、やはり鍾会は劉備ぐらいにもなれなかったことが良く分かりますね。劉備は真偽はどうあれ劉姓であり、それを利用して皇帝となりました。そういうしたたかさ、分かりやすい名目、それを掲げることができなかった時点で、鍾会は劉備にはなれなかったのでしょう。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

因みに「三国志演義」の毛宗崗(もうそうこう)は「鍾会はうまくいっていたとしても姜維に殺されたと思う」とまで言われています。姜維が鍾会を利用したことを考えると、もしかして劉備云々を言ったのは姜維かもしれませんね。

 

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

嘗て諸葛亮(しょかつりょう)が劉備を皇帝にしたように……そういう立ち位置であると、鍾会をそそのかした可能性も出てきます。そう考えるとしたたかさの面では鍾会よりも姜維の方が劉備に近かったのかな……?なんて考える筆者でした。

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どぼん!

 

参考文献:蜀書姜維伝 魏書鍾会伝

 

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鍾会の乱

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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