糜芳と関羽の関係
実際に記録を見ていっても、関羽と糜芳の関係が悪かったのかどうかは分かりません。晩年までかなりの期間、劉備の元で働いていた二人ですが、明確に対立していたという記録はないのです。
また前述したように劉備は糜芳を厚遇していますし、糜夫人のことも考えれば皇帝の外戚です。兄の麋竺は劉備がまだ何も持たない頃から支え、兄弟は曹操の勧誘を受けずに劉備に仕え続けました。
これを考えるといくら関羽が「糜芳を処罰してくれ!」と劉備に訴えたとしても、そうそう簡単に劉備も糜芳を処罰はできないと思います。
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糜芳の功績
ここで少し注目して見たのが糜芳の功績です。糜芳に限ってのことではありませんが、劉備の旧臣たちは放浪時代が長かったためか、余り前半の記録が残されていません。
また糜芳は呉に降伏してしまったことからそれまでの功績が無くされてしまった可能性もあります。とは言え、経歴、そして曹操が勧誘したことを鑑みると、個人的に糜芳はそこまで無能ではなかったと考えられます。
ただ関羽の性格から考えると、いくつかの考察はできないことはありません。
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関羽の性格と照らし合わせると
まず、関羽は基本的に名士が嫌いです。また、関羽は荊州都督に任じられた時から糜芳、士仁を軽視していたともあります。職の上下関係があるといえど、長年付き合いのある糜芳にいきなり見くびった態度を取り始めるということはないでしょうから、もしかしたら実は長い間、糜芳に対する関羽の態度はあまり良いものではなかったのではないでしょうか。
そもそも一家を挙げて長く劉備の支えをしていた糜芳が、叱責されたからと言って急に敵国に逃げるというのは中々あることではありません。そう思うと出会った頃からずっと関羽は糜芳に対して横柄な態度を取っていたのが、ここに来て爆発した……記録されてはいないけれどそもそも両者の関係性は昔から良くなかった、しかしそれに気付く者は誰もいなかったのか封殺されたか。
記録されてはいない関係性ではありますが、ふとそう考えると、糜芳も結構苦労していたのかもしれないな、なんて思ってしまった次第でした。
三国志ライター センのひとりごと
三国志の面白さに、人間関係もあると思います。そして人間関係には、当の本人たちにしか分からない関係、記録されてはいない関係もあるでしょう。
それを考えると人物に更に深みが出て、新しい見方も出てきて、大変面白くなります。今回は関羽と糜芳の関係性でしたが、皆さんはどう思いますか?
よろしければ記録されてはいない記録、想像して筆者と共に三国志の沼にもっともっとハマり込んで頂ければと思います……ちゃぷん。
参考文献:蜀書関羽伝 麋竺伝 呉書呂蒙伝
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