張衛とはどんな人?曹操を一度は撃退した五斗米道教祖、張魯の弟

2021年6月6日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏晋世語では大シカと鼓角で破れる張衛

魏志(魏書)_書類

 

武帝紀では曹操が智謀で一方的に勝っているように見えますが、正史三国志張魯伝が引く魏晋世語では、また少し違う陽平関の攻防が描かれています。

 

空腹の三国志の兵士(兵糧)

 

張魯は五官の(じょう)を派遣して降伏したが、弟の張衛が山を横切って陽平城を築いて防御したので曹操軍は進めなかった。張魯は巴中に遁走したが曹操は兵糧が尽きたので帰還しようとした。

 

ここで幕僚の郭諶(かくじん)

 

「張魯はすでに降伏し、降伏の使者も手元に留めています。張衛は同意していませんが、張魯は巴中に逃げてバラバラで個別撃破が可能です。軍を深く進軍させれば必ず勝利し退却したなら追撃されて大敗するでしょう」このように述べて退却に反対した。

 

陳羣の指摘に戸惑う曹操

 

曹操は、郭諶を疑い実行しなかったが、夜間に野生の大シカ数千頭が張衛の軍営に突撃して軍営を破壊、張衛は大いに驚いた。

 

野生の鹿が張衛の陣営を叩き壊す事故が発生(動物)

 

その夜、高祚らは進路を間違い張衛の手勢とバッタリ遭遇した。

 

敵が味方を呼ぶための太鼓を奇襲の合図だと勘違いする張衛

 

高祚は鼓と角笛を鳴らし軍兵を集めようとしたが、張衛は突撃の合図と勘違いし、すでに自軍が曹操軍に包囲されていると思い込み観念して投降した。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

魏臣世語では、曹操は実力で勝利したのではありません。そして張衛も大シカの襲撃で弱気になり、さらにたまたま道に迷った高祚の軍勢と遭遇し、鼓と角笛の音を包囲殲滅の合図と信じ込んで降伏するなど、マヌケな状態で降伏を余儀なくされています。

 

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三国志演義では許褚と一騎打ちして戦死

史実では許褚に敗れる張衛

 

正史三国志では活躍できない張衛ですが、三国志演義では最後まで兄の降伏に逆らい、曹操軍の許褚(きょちょ)と一騎打ちして破れ、戦死するという最後になっています。これはこれで派手な扱いで読者の記憶に残る演出かも知れません。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は、五斗米道の教祖、張魯の弟、張衛について書いてみました。彼が陽平関に数キロの砦を築いて曹操軍を一度は退却させたのは事実のようです。

 

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しかし、長期に渡り戦を経験していないブランクもあり、大シカ数千頭が陣営を破壊したり、太鼓や角笛を包囲殲滅の合図と思うなど最後は不甲斐(ふがい)ない調子でした。

 

参考文献:正史三国志

 

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張遼

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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