三国志において
この事が彼らの命運を決めた、とも思われます。
こう見ると関羽と張飛は真逆なことをしていたようにも見えますが、実際は二人とも根っこは一緒だった?それを当時の名士たちとその扱いの観点から、見ていこうと思います。
関羽と張飛の最期は似ている
繰り返しになりますが、
「関羽は下の身分の者を大切にして、名士や士大夫を軽視したので配下の将軍に背かれた」
「張飛は下の身分の者を軽視して、名士や士大夫を大切にしたので兵士たちに背かれた」
これが二人の末路であり、一見すると二人とも真逆の対応をしていたのに結局裏切られて死んじゃってるんですけど!と思いますね。
もっと言うと人材運用って難しいよな……というみもふたもない話になりますが、これ、実は関羽と張飛の性格が根本的に似ているというとも言えると思うのです。
当時の名士
さて当時、生まれはとってもとっても大事でした。名士の家系に生まれた者は優遇され、実が共わなくても大切にされました。
能力があったとしても、それを活かせるだけの家、一族に生まれたかどうかがまずは必要だったのです。なのでこの時代に生きる人たちの中には、関羽のように「名士嫌い」な人は多かったと思われます。
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実はあの人も
さてここでとある人物のご紹介を。
「役人の家の子や立派な人物を取り立てても、あいつらは「それは当然のこと」と言って感謝しない」として、役人の家の子に優秀な人物がいると聞くとその家を故意に陥れ、逆に凡庸な者を重用していた人物がいます。
しかしそうやって名士たちを故意に迫害したために彼らが袁紹に付いたために敗北した……のが、公孫サン。
あくまで英雄記の一説ですが、名家の家の人物は取り立てられて当然、という風潮が根付いていたことが分かる一説だと思います。つまりこの時代は多かれ少なかれ、誰もが名家に対するコンプレックスがあったと思うのです。
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公孫サンの敗北
因みに公孫サンは名士を嫌がり、敢えて出自が悪い人物ばかりを人材登用していました。しかしこれは実のところ、出自の良さにこだわるのと何も変わりません。
名家に優秀なものばかりが生まれないように、出自が悪ければ優秀という訳ではないのです。結果的に人材に恵まれず、袁紹に人材の点で差を付けられたことで時代の敗北者となっています。
つまり上の者を優遇することも、下の者を優遇するのも、本質は同じだということです。
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関羽と張飛の態度
さてここで関羽と張飛の名士たちへの態度を見直してみましょう。関羽は名士たちを嫌い、張飛は逆に敬いました。関羽としてはある意味で公孫サンと同じように名士たちを見ていて、張飛はその逆です。
しかし本質は同じであり、公平な目で全ての人たちを見ていた訳ではなく、あくまで家と血筋のフィルターを通して見ていたのではないか、と思うのです。
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