関羽のコンプレックス
しかしこの時代、名家の一族に対するコンプレックスは、関羽や公孫サンだけでなく誰しも抱いていたことだろうと思います。だからこそ敢えて高圧的な、傲慢な態度を取った関羽。逆にその身分に憧れ、どこかへりくだっていた張飛。
対応は真逆であってもこの二人は同じコンプレックスを抱いていたのではないか、と思います。そう考えると面白いことに、二人の対応の違いはその性格が表れていた……とすると、二人の違いが更に見えてきて面白いですね。
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何気に彼も
更に面白いことを話すと、実はこの話は劉備にまで飛びます。
関羽や張飛(それと公孫サン)はある種、極端に見える例ですが、劉備もある種それが見えるのが法正との逸話。
「隗より始めよ」という故事成語があります。これは郭隗が燕の昭王に良い人材の求め方を聞かれて「良い人材が欲しいなら、まず凡庸な私を重用して下さい、そうすれば私より良い人物が自然に集まってくるでしょう」と言われたことから生まれた故事成語です。
つまり「自分より劣っている郭隗でも大事にされてる!自分が行けばもっと大事にされる!」となるから自分を大事にしなさいよっていった逸話ですが、これを引用して法正が名士である許靖を厚遇するように、と劉備を説得した、という話があるのです。
つまり関羽や張飛ほどでもないにしろ、劉備も名士だからといってそこまで優遇しようとはしていなかった……と思うと何だか劉関張の三兄弟の繋がりを見つけたようで、面白いですね!
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三国志ライター センのひとりごと
今回はちょっと当時の名士たちがどんな存在で、どんな扱いだったのかを考えてみました。しかし名士であれ、名士でなかった人物であれ、優秀な人材は多くいたでしょう。
それを考えるととにかく人材発掘に努めた曹操はやっぱり凄かったんだな……と改めて曹操の人材登用能力こそが魏の国を造り上げたといっても過言ではない、そう思いながら今日もまた、筆者は三国志の沼にハマって行くのでした……
ちゃぽん。
参考文献:蜀書関羽伝 英雄記
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