三国志の名政治家、諸葛孔明が無謀な北伐を繰り返した理由とは?

2021年6月26日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛亮の戦略

敵に囲まれる馬謖

 

諸葛亮は魏に侵攻する上で、無理な攻めはできるだけ避けました。1度目は街亭で馬謖(ばしょく)が敗れると全軍を撤退させていますし、2度目から4度目は局地戦で大きな戦はしていません。

 

兵糧を運ぶ兵士

 

また、武都と陰平を落とした3度目以外は、兵糧不足による撤退と将兵の損耗は最小限に留めています。

 

蜀の魏延

 

5度目は大規模な戦となりましたが、屯田を行うなど長期戦の構えを見せ、戦いを急ぐことはありませんでした。また、魏延(ぎえん)が提案した長安奇襲策もリスクの面から却下するなど、とにかく慎重な攻め方をしていることが伺えます。

 

新解釈・三國志 ネバギバと煽る孔明

 

このことからも諸葛亮は魏を無理に攻略するのではなく、国力差が開きすぎないようにバランスを取ることで蜀を存続させたのではないでしょうか。

 

三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

もう一つ根拠に乏しい推論を述べるなら、諸葛亮は国力に大きな差がつかないよう拮抗状態を維持しつつ、魏の内部崩壊を待つという狙いがあったように思います。

 

諸葛亮(孔明)の養育を受ける若き諸葛攀

 

諸葛亮は劉備に授けた隆中策において、益州と荊州を領有し、さらに異民族、孫権(そんけん)と手を組み、『天下に変事があった際に』益州より出兵すると説いています。つまり、諸葛亮の基本戦略は人事を尽くして天命を待つということ。

 

司馬懿と曹丕

 

特に曹丕(そうひ)は皇族に権力を与えない構造を確立し、人事採用においても欠点のある九品官人法を施行しました。さらに司馬懿(しばい)を重用したことで、司馬一族に都合のいい人事が行えるような構造が生まれています。

 

孔明

 

もしも諸葛亮がこうした魏政権の構造的欠陥に気づいていたとしたら、いずれクーデターなどで国家基盤が揺らぐと確信していたのかもしれません。それを狙って持久戦を行ったものの自身の体が保たず、中途半端な状態で舞台から下りることになってしまったと筆者は考えます。

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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