司馬懿の「野心家」イメージはどこから生まれた?

2021年7月12日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬懿の活躍の時代

司馬懿

 

因みに三国志演義の影響から、対蜀と思われがちな司馬懿ですが、実際には対呉がメインです。第三次までの諸葛亮の北伐を防いでいた曹真が病死したことで、その代打として司馬懿は蜀方面を任されます。

 

 

このためか最初の戦いでもある祁山(きざん)の戦いでは張コウらの反対を押し切って追撃、敗北、しかも後に(ちょう)コウに追撃をさせて戦死させています。これは司馬懿最大の失態とされていますが、それ以降は粘り強い戦いで勝利を収めていますね。そういう面も含めて、実は司馬懿の最大の活躍は曹操がいた時代でも、曹丕の代でもなく、曹叡の代以降になってからなのです。

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

その死

司馬懿の墓

 

司馬懿、というよりも司馬家が実権を握ったのはある種政敵とも言える曹爽(そうそう)を追い落としてからです。しかしその後も司馬懿は丞相、相国への就任要請を死ぬまで断り続け、亡くなった後には太祖霊廟の広場に最上位で配置されました。このことからも、当時の人々は司馬懿をあくまで「魏の忠臣」として扱ったことが分かります。

 

司馬懿の存在

流星を見た司馬懿

 

司馬懿に一切の野心がなかったとは、言いません。というよりもこの時代に、一切の野心がなかった人物の方が珍しかったでしょう。しかし司馬懿の行動は、その時代の行動だけを追ってみるとあくまで魏の臣下であり、忠臣といっても差し支えない働きです。

 

司馬師と司馬懿

 

ではどうして司馬懿の野心家イメージが先走るかと言うと、晋の存在が大きいでしょう。彼自身がどうであれ、彼の息子たち、そして孫が魏の終焉を作ってしまった……そして何より、その晋自体も(よりにもよって)司馬家の内輪揉めで終焉していきました。

 

司馬懿

 

このような事態を私たちはどうしても「未来」の立場から見てしまっているため、司馬懿の時代の「現実」にどうしても結果ありきの判断をしてしまっています。

 

このため「晋の時代すら司馬懿の手の内なのでは……なんというやしんか!」というイメージが付いてしまったのではないか、と考察しました。

 

八王の乱

 

その埋葬

ポイント解説をするセン様

 

さて、くどくどしいお話が続いてしまったので、最後はちょっと味を変えてまとめましょうか。司馬懿が活躍した、その実績を挙げたのは魏の時代でも後期です。主に曹叡、そしてその後継者である曹芳の時代なのですね。そして司馬懿はその死後、遺言によって首陽山(しゅようざん)に埋葬されました。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

そして首陽山には、曹丕の陵が在ります。司馬懿にとって、自分の時代は一体いつだったのか。それはもう司馬懿にしか分からなかったのかもしれませんね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は、三国志の武将たちのイメージ、について、そしてそこから司馬懿について、考えてみました。そして考えてみて分かったのは、あくまで私たちは未来の立場から全てを見て、考えてしまうことがあるということです。

 

三国志を解説するセンさん

 

これを踏まえて、今後はフィルターを通して考えすぎないように、多角的な目線で物語を見なければいけないな、という気付きを得た筆者。

 

 

今後はより注意しつつ、三国志の沼にハマっていこうと思います……どぼん。

 

参考文献:晋書帝紀第1 宣帝  魏書文帝紀 明帝紀

 

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帝政ローマvs三国志

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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