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姜維の油断が敗戦を招いた
そもそも姜維は勝利の勢いに乗りすぎて、現状が見えていなかったように思います。255年に都督雍涼州諸軍事だった郭淮が死去していますが、郭淮は姜維が何度も辛酸を舐めさせられた相手です。その郭淮がいなくなり、雍州刺史であった王経は姜維に大敗を喫しています。
援軍さえこなければ涼州一帯まであと一歩というところでした。また、大将軍という地位を与えられたこともあって、姜維の心の中には油断が生じていたのかもしれません。その結果、無理な作戦を実行してしまったばかりか、鄧艾にも全て読まれてしまったのです。
この敗戦で姜維は軍事力や政権内部での発言力を失い、さらに鄧艾が本格的に隴右の開発を始める要因を作っています。そしてこれこそが、後に蜀漢を滅亡させる要因の一つになっていきました。
三国志ライターTKのひとりごと
姜維は諸葛亮の時代から北伐を支えてきた人物です。しかし、蔣琬の時代にはそれほど多くの軍事行動ができず、費イの時代には抑制をされてきました。
それでも小さな行動をコツコツと積み上げて、やっと涼州が手に入る手前まで至ったわけですが、最後に油断をして大きな損失を出してしまいました。諸葛亮や蔣琬など北伐推進派の人物たちもどこか詰めの甘さがありましたが、姜維もそこを受け継いでしまったのかもしれません。
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