姜維はなぜ段谷の戦いで大敗したの?その理由を考察してみた

2021年7月27日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姜維の油断が敗戦を招いた

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

そもそも姜維は勝利の勢いに乗りすぎて、現状が見えていなかったように思います。255年に都督雍涼州諸軍事だった郭淮(かくわい)が死去していますが、郭淮は姜維が何度も辛酸を舐めさせられた相手です。その郭淮がいなくなり、雍州刺史であった王経は姜維に大敗を喫しています。

 

姜維

 

援軍さえこなければ涼州(りょうしゅう)一帯まであと一歩というところでした。また、大将軍という地位を与えられたこともあって、姜維の心の中には油断が生じていたのかもしれません。その結果、無理な作戦を実行してしまったばかりか、鄧艾にも全て読まれてしまったのです。

 

姜維怨嗟の声

 

この敗戦で姜維は軍事力や政権内部での発言力を失い、さらに鄧艾が本格的に隴右の開発を始める要因を作っています。そしてこれこそが、後に蜀漢を滅亡させる要因の一つになっていきました。

 

トウ艾

 

 

三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

姜維は諸葛亮(しょかつりょう)の時代から北伐を支えてきた人物です。しかし、蔣琬(しょうえん)の時代にはそれほど多くの軍事行動ができず、費イの時代には抑制をされてきました。

 

剣を石にたたきつけて剣を折る姜維

 

それでも小さな行動をコツコツと積み上げて、やっと涼州が手に入る手前まで至ったわけですが、最後に油断をして大きな損失を出してしまいました。諸葛亮や蔣琬など北伐推進派の人物たちもどこか詰めの甘さがありましたが、姜維もそこを受け継いでしまったのかもしれません。

 

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姜維特集

 

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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