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劉備と孔明はカブ仲間?実はとっても実用的だった劉備の家庭菜園


 

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土いじりをする劉備

 

三国志演義では母子家庭の貧しいムシロ売りとして登場する劉備。面白い事に正史でも陽平関で劉備が曹操に「沓売(くつう)りの小倅(こせがれ)分際(ぶんざい)で」と罵倒されるシーンがあり劉備の貧乏アイコンとして定着している様子が窺えます。

 

正史三国志_書類

 

そんな劉備、正史で曹操の居候していた頃に曹操の警戒心を逃れようと家庭菜園で汗を流していたと記録されています。この時、劉備が栽培していたのはカブでしたが、なんとカブは中国では諸葛菜(しょかつさい)と呼ばれているのです。

 

今回は偶然とは思えない劉備と孔明のカブについての繋がりを解説してみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備と孔明はカブ仲間?ザックリ

人形劇三国志の語り手風 kawausoさん、おとぼけさん

 

では、最初に今回の記事の内容をザックリと解説します。

 

三国志演義で曹操の所で居候して家庭菜園を手入れしている劉備の描写は

正史三国志先主伝が引く呉歴(ごれき)に登場するエピソードが元ネタ

呉歴では劉備がカブを栽培していた事が記録される。
カブは中国では諸葛菜と呼ばれ、南征で栄養不足に陥った蜀軍の為に

諸葛亮が軍営の近くで栽培したのが始まりとされる

カブは春と秋に栽培でき、生でも煮ても食べられ、根以外にも葉も茎も

食べる事が出来、ビタミンCやカリウム、葉酸(ようさん)、β-カロテン、カルシウム、ビタミンB₂やビタミンC、鉄、

食物繊維等、栄養素が豊富な野菜である。

官渡の戦いの頃、曹操の陣営ではまだ屯田制が軌道に乗っておらず食糧不足が見られていたので、

劉備は自分の兵士を養う名目で家庭菜園を持っていたのではないか?

 

以上がこの記事のザックリとした内容です。

ここからは、もう少し記事の内容を詳しく見て行こうと思います。

 

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呉歴のエピソード

魏晋世語(書類)

 

正史三国志先主伝が引く、胡沖(こちゅう)の呉歴によると

 


 

処刑を下す曹操

 

曹操は、しばしば腹心に客将の様子をうかがわせ食事に招待しては理由をつけて殺害していた。劉備が閉門して庭で人と蔓菁(まんせい)(自生のカブ)を植えていると曹操の派遣した人が中の様子を窺った。

 

張飛と劉備

 

人が去ると劉備は関羽と張飛を呼び、「私が野良仕事の真似をしたのは曹操の猜疑心を解くためだったが、それも無駄だったようだ。これ以上ここには居られない」と告げると夜中に後手の柵を開けて逃げ出し、曹操から受け取った宝物は全て使わずに封をして返却し小沛(しょうはい)で兵士を集めた。

 


 

kawauso

 

このようにあり劉備が曹操の猜疑心を解こうと家庭菜園で蕪を栽培していたとします。ただ、これは正史の記述と矛盾していて事実ではなさそうです。しかし、貧しいムシロ売りの劉備が野良仕事をしてカブを栽培した逸話は面白おかしく、三国志演義で採用され、おおむねそのまま使用されました。

 

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南蛮征伐特集

 

 

諸葛孔明が戦場で植えたカブ

孔明君のジャングル探検

 

ところが、劉備が植えたカブの話はここで終わらず諸葛孔明に引き継がれます。劉備の死後に蜀の政治を主導した諸葛孔明は、後顧の憂いを断とうと南征を試みますが、10万の大軍を率いての遠征で兵士は野菜不足になり、バタバタと病気に倒れました。

 

病気になった兵士

 

これはいけない、なんとかしなくてはと思案した孔明が目をつけたのが自生の蔓菁(カブ)です。カブはやせた土地でも早く大きく育ち、葉も茎も根も食べられ生でも煮ても美味しく、また干して漬ければ保存食になる上に栄養価も高かったのです。

 

饅頭を作る孔明

 

諸葛亮は兵舎の周囲でカブを栽培させつつ南征を進めて成功させ、帰国する時にカブを持ち帰り各地で栽培させたそうで、当時の人々は蔓菁を諸葛菜と呼ぶようになったというお話です。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

この話が事実かどうかはさておきますが、カブは中国最古の詩編である詩経(しきょう)にも登場し、確実に2000年以上前から中国人に知られ食べられている野菜ではあります。カブ栽培を始めた最初の人が孔明じゃなくても、孔明が兵舎の周囲でカブを栽培した事実は十分にあり得る話ではないでしょうか?

 

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劉備も食糧不足に備えたのでは?

食客に成り下がる劉備

 

さて、劉備の話に戻りますと、劉備が曹操に居候していたのは官渡決戦の直前の時期であり、屯田は始まっているものの、目に見えた実績は上がっていない時代です。曹操は官渡の戦いでも食糧不足に苦しんでいるので、劉備も部下が飢えないように自宅の庭で野菜を栽培していた可能性はゼロではなさそうです。

 

酒を飲む曹操と劉備

 

実際、劉備は何度も戦場で飢えに苦しんでいて、まずは食べるモノを確保するという意識が染みついていたので普段から野菜栽培をしていて、孔明はそれを見ていて南征でも、カブを栽培して食糧不足に備えたとも考えられないでしょうか?

 

忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

三国志演義では、ユーモラスで間の抜けた話に見える劉備の家庭菜園は、曹操の猜疑心を取り払うカモフラージュではなく、乱世で生き残る為、劉備が身につけた強かな作戦だったと考える事も出来そうです。

 

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カブの栄養価

ご飯を食べる薩摩藩士

 

カブにはビタミンCやカリウム、食物繊維、でんぷんを分解する消化酵素であるアミラーゼが豊富に含まれています。またカブの94%は水分で栄養価は大根とほぼ同じです。また葉も栄養価が高く、葉酸、β-カロテン、カルシウム、ビタミンB₂やビタミンC、鉄、食物繊維が豊富に含まれます。カブは特に葉っぱに重要な栄養素が含まれているので、葉っぱも捨てずに工夫して食べて栄養分を摂取したいですね。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は劉備も孔明も戦場の食事として注目したカブについて解説してみました。曹操の猜疑心から逃れる為の方便として語られる劉備の家庭菜園ですが、実際には食糧不足が厳しい曹操軍の中で劉備が兵士を養う為に実利面から畑を耕していたと考えると、伊達に何十年も戦場を渡り歩いていない劉備の強かさが見えてきますね。

 

参考文献:正史三国志

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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