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呂蒙の能力4 人心掌握力
呂蒙は民心を味方につける能力に長けていました。その能力がもっとも発揮されたのが関羽との戦いです。呂蒙は関羽との戦いで占領した地域では軍律を徹底しました。当時は戦があると、略奪などは普通に行われていたようですが、呂蒙はこれを禁じました。
そんな時、呂蒙の部下の1人が民家から笠を一つだけ奪いました。その部下は呂蒙の同郷の物でしたが、呂蒙は容赦なく処刑し、全軍を引き締めました。その後は落ちているものを拾う兵士もいなくなったようです。
また、老人を見舞い、飢えている者には食料を、病人には薬を配りました。そして関羽からの詰問の使者も手厚くもてなし、関羽部隊の家族も大切に扱っていること、も伝えました。
こうして関羽の軍は戦意を喪失していき、結局破れることになるのです。呂蒙は人の心をつかむ能力も持っていたようです。
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呂蒙の能力5 戦時統率力
呂蒙は戦に強い男でした。彼が初めに名を上げたのが魏の曹仁との戦いです。
夷陵に曹仁が攻めてきた際、城を守るのは武将甘寧でした。彼は何日も曹仁の猛攻に耐えました。そのまま守りきるかと思いましたが、呂蒙は援軍を進言。そして曹仁が撤退することを見越し、その退路に罠を仕掛けたのです。
援軍は呂蒙の読み通りに曹仁を撃破し、罠にかかった曹仁からなんと300頭もの馬を奪う事に成功したのです。
また、曹操が攻め寄せて来た際には自ら太鼓をたたき兵士を鼓舞し、これを撃退しました。その時は敵の武将を捕えたうえ、数万人もの捕虜を得ることに成功したといいます。また、数々の反乱も鎮圧し、首謀者のみを処刑し、他の者は許すなど優しさも兼ね備えていました。
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三国志ライターみうらの独り言
呂蒙は武将として様々な能力に長けていました。
三国志の著者陳寿は呂蒙について「決断力があり、軍略も兼ね備えており、只者ではない」と絶賛しています。若いころはヤンチャしたようですが、その時の苦い経験もその後の能力向上に役に立ったのかもしれませんね。関羽を討ったことで悪役にされてしまっているのはちょっともったいない気もします。
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