呉の武将呂蒙と言えば、なんといっても関羽を討った男として有名ですね。
関羽は三国志ではかなり人気のある武将ですから、関羽を討ったことで呂蒙の評価はマチマチです。しかし、呂蒙は間違いなく数々の功績を残した名将でした。
今回の記事ではその呂蒙の能力について探ってみたいと思います。
この記事の目次
呂蒙の能力1 戦闘力
呂蒙は貧しい家に生まれました。
しかし、親戚が孫策軍の武将として従軍しており、呂蒙はチャンスを求めてその軍についていったのです。
呂蒙はろくに学問をせず軍隊に入ったため、字も書けず、教養もありませんでした。
そんなある日、役人の1人が呂蒙が年少であることを馬鹿にしたのです。それに呂蒙は激怒。なんとその相手を斬り殺してしまうのです!
その為度胸と、剣の腕には相当な自信があったと考えられます。呂蒙は自首し、孫策の前に引き出されますが、なんとそこで孫策に才能を認められ、仕官することになるのです。
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呂蒙の能力2 演出力
孫策が亡くなり、孫権が跡を継いだ際、彼は軍隊の整理(リストラ)を考えました。そこで呂蒙は兵士たちを守ろうとある演出をしたのです。
呂蒙は兵士に揃いの赤い服装を着させ、孫権が見る閲兵式に臨んだのです。孫権はその見事さに驚き、呂蒙の軍の兵士を増やしたといいます。
また、関羽を討つ際、病気を装い、彼を油断させることにも成功しています。これらの事から、呂蒙の演出能力はかなりのものだったと考えられます。
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呂蒙の能力3 知力
前述の通り呂蒙は学がありませんでした。戦で功績はあげていたため、本人は気にしてはいないようでしたが、ある日、孫権に「もっと学問をして見識を深めるべきだ」と言われたのです。
本人は忙しさを理由に固辞していましたが、「俺も勉強したんだから、お前もやれ」と言われ勉学に励んだのです。するとのちには学者が驚くほどの学識を得ていたといいます。
ある日魯粛が呂蒙を訪問しました。魯粛は呂蒙の事を馬鹿にしていましたが、その見識に驚き、「もう呉の国(呉下)の蒙ちゃん(阿蒙)とは言えないな!」と言ったそうです。
これが「呉下の阿蒙」という故事のいわれです。このように初めは無学でしたが、勉学はみるみる身についたことからかなりの知力があったと考えられます。
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