呂蒙の死亡原因は?史実と小説で全然違う!

2021年3月2日


 

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憤死する麋竺(モブ)

 

呂蒙(りょもう)は呉の名将で、関羽(かんう)を討ったことで有名ですね。そんな呂蒙は219年に42歳の若さで亡くなっています。

 

正史三国志_書類

 

その死亡原因なのですが、史実である「三国志」と小説「三国志演義」では全然違うのです。どうしてそのようになってしまったのでしょうか?

 

呂蒙の人生と功績から探ってみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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貧乏から身を起こす呂蒙

進軍する兵士b(モブ用)

 

呂蒙は貧しい家に生まれました。あるとき、義理の兄が孫権(そんけん)軍に武将として従軍していました。当時15歳の呂蒙はその軍に勝手についていき、母親にしかられることになります。

 

しかし呂蒙は

「貧しさから抜け出すには危険を冒すしかない」と語り、母親を納得させています。

 

のちに呂蒙は自分を馬鹿にした人物を斬り殺してしまいます。

 

呉の小覇王・孫策

 

それで当時の呉の孫策(そんさく)の前に引っ立てられていったのですが、そこで孫策に才能が認められ、呉軍に武将として仕えることになるのです。

 

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数々の戦いに従軍する呂蒙

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

そして呉軍の武将として数々の功績をあげ、有名な「赤壁(せきへき)の戦い」でも曹操(そうそう)を破っています。曹操の武将曹仁との戦いでは罠を用いて彼を破ることに成功しています。

 

指揮を取る呂蒙

 

呂蒙は策略がとても得意な人物だったようです。その後は病死した呉の武将周瑜(しゅうゆ)に変わり、呉で重きをなしていくことになるのです。

 

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呉下の阿蒙に非ず

字が読めなくてバカにされる呂蒙

 

呂蒙はその生まれから、正式な学問を受けたことが無く、文字もかけないほどでした。

 

呉の孫権

 

ある日主君の孫権から「職務を遂行するためには学問も身に着けたほうが良いぞ」と注意されてしまいます。

 

勉強する呂蒙

 

そこで呂蒙は一念発起し、必死に学問にはげみます。やがて呂蒙は学者も驚くほどの学識を身に着けることになるのです。

 

魯粛

 

そんな時、同僚の魯粛(ろしゅく)が呂蒙を訪ねてくることがありました。正直、魯粛は呂蒙の学について疑問を持っていたのですが、実際に話し合ってみてその豊かな学識に驚いたといいます。

 

勉強に励んで文字も読めて賢くなる呂蒙

 

そして「もう君の事を呉の町(呉下)にいたときのように気軽に蒙ちゃん(阿蒙、“阿”は“-ちゃん”という意)と呼べないな!」と驚いたそうです。

 

呂蒙はそれに対して「いつも努力しているものは3日も会わないとすっかり変わっているものだよ」(士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし)と答えたそうです。

 

呂蒙

 

これが有名な「呉下(ごか)阿蒙(あもう)(あら)ず」というエピソードです。ちなみにそこで二人が話し合った内容は領土が隣接する関羽対策についてでした。

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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