姜維の死因とは?魏兵に切り刻まれ、肝を取り出された姜維の壮絶な最期に迫る!

2021年9月29日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鐘会、反乱を決行するも失敗

独立したくウズウズする鍾会

 

鐘会は反乱を決行、成都で宴を開催し、そこに集まった魏の諸将を監禁しました。しかし、諸将の1人が命の危険を感じ、外部と連絡を取ることに成功します。

 

デマを信じた兵士に鍾会・姜維が襲われ、助かる胡烈

 

兵士たちは一斉に壁を登って城門内に侵入します。その混乱の中で鄧艾や劉禅の息子を始め、多くの武将が殺されたといいます。そして鍾会も殺されてしまいます。

 

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鍾会特集

 

 

 

姜維の最期

無残な最期を遂げた姜維と鍾会

 

鍾会は殺され、同じく姜維も殺されてしまいます。その際、姜維の妻子も一緒に殺されてしまったといいます。姜維は魏の兵に切り刻まれ、取り出された肝は一升瓶ほどもある大きなものだと伝えられています。姜維の死因としては奮戦するもずたずたに斬られてしまったことが原因でしょう。

 

4世紀半ば、武人で歴史家の「孫盛(そんせい)」は蜀征伐の際に成都を訪れました。そして地元の老人たちと姜維の反乱について話が及ぶと、彼らはその時までも残念がっていたらしいです。姜維の反乱は長く語り継がれていたのでしょう。

 

「三国志演義」での姜維の最期

三国志演義_書類

 

小説「三国志演義」では反乱が失敗し、兵士が押し寄せた際、姜維は5〜6人を斬り倒すなど奮戦します。しかし、もはやこれまでと思い、最後に「この計画が成功しなかったのは天の意思なのだろう」と自ら喉を切り裂き自害します。

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

姜維は有能でしたが、周囲との政治的駆け引きが苦手だったのかもしれません。死因につながった反乱計画もちょっと稚拙でした。もし反乱が成功していたら、どうなっていたかは気になりますね。姜維が王になったのでしょうか?

 

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姜維特集

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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