荀彧の存在
そしてもう一つ、曹操が郭嘉を重用した理由に、荀彧の存在があると思います。
曹操は荀彧もまた深く重用しました。荀彧もまた曹操に良く応えました。しかし皆様ご存知の通り、二人には「空箱」の一件があります。
曹操と荀彧の間に本当は何があったのかは分かりません。ですが過程として曹操はいずれ漢王朝に反旗を翻すとして、荀彧はあくまで漢王朝の一臣下として、そう考えると、曹操にとって荀彧は、段々と目に付く存在になったのではないでしょうか。
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荀彧の推挙
また、荀彧の曹操への功績の一つに、数多くの名将を推挙したというのがあります。曹操としてもこれはとても嬉しいことでしょう。荀彧が見出した優秀な人物たちが自分の味方になってくれるのですから。
しかし、その人物たちはみんな「荀彧が推挙した人たち」なのです。
荀彧が推挙した人物たちは、当然ながら荀彧に恩義がある人物たちです。派閥があったとするなら、荀彧派でしょう。優秀で、素行良く、欠点もなく……そんな荀彧の推挙した人物が揃う中でも、郭嘉は曹操から見ても一線を画していたのではないでしょうか。
要は、郭嘉の荀彧とは違う素行の悪さが、曹操にとって非常に安心するものであったのではないか、と思います。
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異端な存在、郭嘉
そして郭嘉は、曹操より一回り若いということも相まって、目をかけていたのではないでしょうか。自分の考えを理解して、自分と気が合って、気をおけず話せて、そして後事を託せる存在……曹操にとって、郭嘉とはそういう存在でもあったのではないかと思います。
魏の文官たちを少し並べてみると、郭嘉は少し異質、異端な存在です。
しかし曹操もまた、三国志の時代においてある種、異端であったのかもしれません。そんな状況で曹操にとっての幸運は、郭嘉という理解者を得たことであったのでしょう。そして曹操にとっての不幸とは、その郭嘉が誰よりも早く儚くなったことだったのかもしれませんね。
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三国志ライター センのひとりごと
郭嘉の最大のポイントは、曹操より若かったことであったと筆者は思います。時代を託せる人物が自分より若かった、それが曹操にとっての安心だったのではないでしょうか。
だからこそ哀しい。
だからこそ痛ましい。
だからこそ……惜しい。
その言葉が曹操の口からこぼれたのだと思わずにはいられません……ちゃぷり。
参考文献:魏書武帝記 郭嘉伝
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