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苦労人で思いやり深い性格
曹真は若くして孤児になり大変な苦労したせいで、人に対して親切で優しい性格でした。
戦場でも大将風を吹かせる事なく、兵士の労苦に付き合い悩みを聞いてやり、兵士の褒美が足りないと自腹を切ってまで支給したので兵士は皆、曹真将軍の下で役に立つ事を願ったそうです。
また、曹真には宗族の曹遵と同郷の朱讚という友人がいましたが、2人が早くに亡くなると2人の息子に自分の領地を分けたいと願い出、殊勝な心掛けであると許され2900戸の食邑から、それぞれに百戸を分けました。
ちなみに食邑とは、税金を徴収する事が認められた世帯の事であり、曹真は2900戸の家々から決められた税金を徴収する事を許されている事になります。この食邑は官位や役職と違い当人だけでなく死後は子孫に相続されるので、非常に嬉しいボーナスになりました。
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容姿を気にしていた曹真
こんな男としても憧れるカッコイイ曹真ですが、とても気にしている事がありました。実は曹真、若い頃から肥満していたいわゆる「動けるデブ」だったのです。
ある宴会の席で呉質という男が泥酔して曹真の肥満をからかうと、同席していた曹洪や王忠まで同調しデーブ!デーブ!と連呼しました。温厚な曹真ですが、内心気にしている事だけに許せず珍しく激怒したと言われています。
しかし、曹真は屈辱を根に持たず、後に曹洪が曹丕に罪に問われ逮捕された時、曹洪のために弁護しています。曹真は心根までイケメンでした。
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嫡子曹爽がバカすぎて一族滅亡
曹真が死ぬと、その子孫は全て列侯に昇進させられ王室を守る藩屏の役割を期待されます。曹叡は病床で曹真の嫡子である曹爽と司馬懿に幼い曹芳の後見人を頼むほどでしたが、この曹爽が全くのボンクラで、曹芳が幼いのをよい事に政治を私物化して腐敗させ、最期は司馬懿にクーデターを起こされて身分を剥奪されます。
その時、曹爽は曹芳を握り、軍勢もあり各地に曹芳の命令で召集をかければ司馬懿の兵力に勝てる見込みはありましたが、司馬懿の甘言を信じて武器を捨てて降伏。自宅に軟禁され、頃合いを見て三族皆殺しとされました。
徹底抗戦を呼びかけた桓範は曹爽が「身分が無くても富豪で安楽に暮らせるならいいもんねー」と少し後の劉禅みたいな事を言い出したのを聞いて心底呆れ果て「貴様らの父である曹真将軍は優れた人だったのに貴様たちは何なのだ?間違えて子牛か豚の子が生まれたのか!」と激しく罵ったとされます。
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三国志ライターkawausoの独り言
曹真は苦労人であり、それ故苦しい立場にある人の気持が分る本当の名将でした。
三国志演義では、諸葛亮に翻弄された挙句バカにされる手紙を受け取り、憂憤のうちに死んだ曹真ですが、実際には孔明の打つ手を正確に読み攻勢を封じて逆に蜀に攻め込んで滅ぼそうとするなど、諸葛亮に取っては司馬懿以上の脅威だったと言えるでしょう。
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