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古代オリンピックの戦車競走とは?古代ギリシア人が夢中になった古代五輪


 

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幻の1940年の東京五輪 いだてん

 

2021年は東京オリンピックが開催されましたね。近代オリンピックは1896年にギリシアのアテネで第1回大会が開催されましたが、近代オリンピックがギリシアで初めて開催されたのは、それが古代ギリシア時代のオリンピア競技会(古代オリンピック)をモデルとした祭典であったからです。

 

聖火を持って走る古代ギリシャ人

 

そこで今回は、古代オリンピックの中でも特に注目を集めた花形競技である戦車競走について、戦車競走にまつわるエピソードを中心に見ていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦車競走とは?

他の戦車馬車に激突OKなため、積極的に馬車をぶつけるレース参加者(古代ギリシャ人)

 

古代オリンピックにおける戦車競走は、2頭立てまたは4頭立ての馬車を走らせ、幅およそ320m、長さおよそ780mのコースを12周してその着順を競う種目であったとされています。

古代オリンピックの戦車競走(古代ギリシャ人)

 

戦車競走の歴史は比較的古く、古代オリンピックが紀元前776年に始まったとされているのに対し、紀元前680年の第25回大会から4頭立て戦車競走が、紀元前408年の第91回大会からは2頭立て戦車競走が始まったと言われています。

 

古代オリンピックの最重要種目は1スタディオン(192m)を走る短距離走でしたが、戦車競走についても、古代のギリシア人は特別な意識を持っていました。それは、戦車競走は数々の古代ギリシアの叙事詩や伝説で語られていることからもわかるでしょう。

 

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古代オリンピック

 

 

 

戦車競走にまつわる伝説

 

例えば、古代ギリシア最大の詩人・ホメロスが紀元前8世紀頃に著した大叙事詩『イリアス』では、英雄アキレウス(アキレス)が親友パトロクロスの死を悼み、パトロクロスを追悼すべく戦車競走を行ったとの記述があります。

 

また、古代オリンピックそのものの起源にも戦車競走が関わっているという伝承が残っています。伝承によれば、かつてギリシアにオイノマオスという王がおり、彼は娘のヒッポダメイアの求婚者たちに、戦車競走で自分に勝てばヒッポダメイアと結婚させると宣言しては連戦連勝し、敗れた求婚者たちを殺害していました。

 

そんな中、ヒッポダメイアに惚れた青年ペロプスは、オイノマオスに戦車競走を申し込みます。ペロプスはまともに戦っては駿馬を揃えているオイノマオスに勝てないと悟り、オイノマオスの御者であるミュルティロスを買収し、オイノマオスの戦車に細工します。果たして戦車競走が始まると、オイノマオスの戦車は壊れ、オイノマオスは落馬して死んでしまいました。

 

こうして、ヒッポダメイアと結婚したペロプスですが、勝負が終われば用済みとばかりにミュルティロスを殺害してしまいます。殺されたミュルティロスの怨念により、ペロプスは呪われてしまいます。その後、ギリシアの覇者となったペロプスはミュルティロスの怨霊を鎮めるために神殿を築くとともに、オリンピアの聖域で競技会を始め、競技会場にはミュルティロスの像を建てたと言われています。

 

このように、戦車競走は古代ギリシアの伝承にも残っており、ギリシア人にとって単なる運動競技を超えた存在だったと言えるでしょう。

 

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近代オリンピック

 

 

有力者たちが財力を誇示する場としての戦車競走

戦車馬車競争で1位になり最高の名誉を得る勝者(古代ギリシャ人)

 

古代オリンピックでの戦車競走は、ほかの競技と大きく異なる点があります。それは、「優勝しても競技者が表彰されない」という点です。戦車競走で優勝した時に勝者として表彰されるのは戦車の御者ではなく、馬と戦車のオーナー(馬主)だったのです。つまり、戦車競走で優勝するほどの駿馬を所有していた者に勝者の栄誉が贈られたのです。

 

優勝金(大金)欲しさに欲望にまみれたアスリートとコーチ(古代ギリシャ人)

 

現代と同様、古代ギリシアにおいても馬は非常に高価な家畜でした。ましてや、古代オリンピックで優勝するほどの優駿は、現代の競走馬と同様に途方もない価格で取引されたことでしょう。

 

そのような優駿を多く揃え、古代オリンピックでの優勝という栄光を勝ち取れるのは裕福な有力者に限られていました。だからこそ、現代での競馬と同様、古代オリンピックの戦車競走は有力者たちにとって自らの財力を誇示する場であり、4年に1度の戦車競走での優勝は彼らにとってこの上ないステータスであったのです。

 

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戦車競走の有名な優勝者たち:なりふり構わずに勝ちにいったアルキビアデス

 

ここからは、戦車競走の有名な優勝者たちを紹介していきたいと思います。まずは、アテナイ(アテネ)の将軍・アルキビアデスです。

 

古代ギリシア最大最強のポリス(都市国家)の一つであるアテナイに生まれたアルキビアデスは容姿・才能・家柄・財産すべてに恵まれていながら傲岸不遜(ごうがんふそん)な性格で、「徳においても悪徳においても彼を凌ぐ者はない」と言われるほどの異彩を放つ人物でした。

 

アルキビアデスは古代オリンピックの戦車競走での栄光を渇望し、なりふり構わず優勝をつかみ取ろうとします。そこでアルキビアデスが考えたのは、自分の所有する戦車で出場枠を埋めてしまうことでした。

 

おそらくアルキビアデスはその溢れんばかりの財力を使ったのでしょう、紀元前416年の大会では出場した7両の戦車のうち、4両がアルキビアデスの所有する戦車だったのです。こうしてアルキビアデスは首尾よく古代オリンピックの戦車競走で優勝を掴み、歴史にその名を残したのです。

 

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戦車競走の有名な優勝者たち:古代オリンピックで初めて優勝した女性

 

また、古代オリンピックの戦車競走は競技者ではなく馬と戦車のオーナーが表彰されることから、宗教的事情により女人禁制の古代オリンピックにあって唯一女性が優勝者となり得る競技でした。

 

事実、古代オリンピックの戦車競技では何人かの女性が優勝の栄冠を勝ち取ったことが記録されています。中でもそのパイオニアとなったのが、スパルタ王女のキュニスカでした。

 

アテナイとならぶギリシアの強国であるスパルタに生まれたキュニスカは、スパルタ王アルキダモス2世の娘として生まれました。彼女は女性でありながら古代オリンピックの栄冠を望み、唯一女性が勝者として表彰される可能性のある戦車競走に参加します。

 

その結果、キュニスカは見事紀元前396年と紀元前392年の大会で連覇を達成するという偉業を成し遂げます。しかし、古代オリンピックの競技場はゼウス神の神域であり、女性が立ち入ることはかないませんでした。ですから、キュニスカは現地で自らの勝利を見届けることはできませんでした。しかし、キュニスカは自らの優勝を記念し、競技場のあるオリンピアの聖域に優勝を記念する石碑を建てたと伝えられています。

 

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三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。数十台の戦車が命をかけてしのぎを削る戦車競走は古代オリンピックの花形競技であり、後世に様々なエピソードを残しています。現代であっても、古代ギリシアの時代であっても、意地と意地がぶつかり合う真剣勝負は数多くのドラマを生むということなのですね。

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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