「三国志演義」の始まりを告げるエピソードとして有名なのが、「桃園の誓い」です。
「桃園の誓い」によって義兄弟の誓いを結んだ劉備・関羽・張飛がこの後、「三国志演義」の主人公として縦横無尽の活躍をしていくわけですから、「桃園の誓い」は「三国志演義」には欠かせないストーリー上の要素なのは明らかです。
今回はそんな「桃園の誓い」について、お馴染みの「三国志演義」以外の文献に登場するエピソードをご紹介してみたいと思います。
「三国志演義」での桃園の誓い
この記事をご覧の方で、「桃園の誓い」をご存じない方はおそらくいらっしゃらないとは思いますが、一応、最もポピュラーな「三国志演義」の桃園の誓いのストーリーをおさらいしてみたいと思います。
黄巾の乱が勃発し、世が大いに乱れた後漢の末、筵売りをしていた若者であった劉備は街角に黄巾賊討伐の義勇軍を召集する高札を見かけます。これを見た劉備は、漢王朝の末裔であるはずの自分が王朝の危機を前に何もできないことに無力感を感じ、思わずため息をついてしまいます。
この時、張飛という大男が「大の男が世のために働かず、ため息をつくだけとは情けない」と劉備に話しかけ、二人は出会います。劉備と張飛は語り合い、乱れた世を立て直すべく立ち上がろうと意気込みます。
そして、酒を酌み交わしていた二人は酒場でもう一人の豪傑・関羽と出会い、三人はすぐに意気投合し、張飛の家の裏にあった桃園で改めて盃を交わし、「同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん。」と義兄弟の誓いを交わすのです。これこそが、「三国志演義」の始まりを告げる「桃園の誓い」です。
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「三国志平話」での桃園の誓い
一方、明代に書かれた「三国志演義」よりも古い元の時代に書かれたとされる物語、「三国志平話」にも桃園の誓いが登場しますが、そのストーリーは若干「三国志演義」と異なります。
「三国志平話」での桃園の誓いは以下の通りです。ある時、関羽という男がおり、彼は教養が深く仁義に厚い男で、暴政で民を苦しめる県令を殺してしまい、逃亡生活を送ります。逃亡生活の最中、関羽は大金持ちの張飛と出会います。語り合ううちに、関羽をただものではないと見抜いた張飛は関羽を飲み屋に誘い、二百銭もの大金を出して酒を振る舞います。
その後、仁義を重んじる関羽は返礼として張飛に酒をふるまおうとしますが、いかんせん逃亡生活の最中でお金をあまり持っていません。そんな関羽が困っていると、すかさず張飛は「いいんだ、主人に酒を持ってこさせろ」と関羽に助け舟を出し、二人は意気投合します。
そんな中、飲み屋を劉備という男が訪れます。劉備は漢の景帝の末裔であり、若いときは大学者である盧植の門下で遊学したこともありましたが、当時は筵を市場で売っては酒を飲むという生活を送っていました。
飲み屋で偶然関羽と張飛に出会った劉備は、二人と酒を酌み交わすうちに意気投合し、三人はそのまま張飛の家の裏にある桃園で飲み明かし、義兄弟の誓いをしたのでした。
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民間伝承における桃園の誓い
一方、「三国志演義」や「三国志平話」以外の伝承ではどのように桃園の誓いが描かれているのでしょうか。「柴堆三国」と総称される、三国時代以降に語られるようになった民話や民間伝承の中では、桃園の誓いはいささか荒唐無稽な話として語られていたりします。
例えば、ある話によれば、肉屋をしていた張飛は千斤の石の下に品物を保管しており、自らの怪力を誇示するために、「この千斤の石を動かせる者がいたら、この下の肉をくれてやる」と宣言します。
そこを通りかかった関羽は、あっさりと千斤の石を動かしてしまい、張飛の肉を周囲の人たちに分けてしまいます。これに激怒した張飛は関羽に殴りかかり、両者喧嘩となりますが、筵売りの青年であった劉備が止めに入ります。
関羽と張飛は非力そうに見える劉備を振り払おうとしますが、不思議な力が働いているのか、振り払うことができません。こうして、我に返った二人は、自分たち喧嘩を止めた劉備がただものではないことに気づき、劉備と義兄弟の誓いを結び、劉備の舎弟となったのでした。
また、別の話では、劉備・関羽・張飛の三人が「誰が兄貴分になるか」ということで揉め、決着をつけるために木登りで決めるという話もあります。三人は桃の木(桑の木という説もあり)を囲み、最も早く木を登り切った者が兄貴になることを取り決めます。こうして木登り勝負を始めたところ、運動神経抜群の張飛が一番に木を登り切り、関羽は未だ木の半分ものぼり切れていませんでした。
しかし、どういうわけか劉備は木を登ろうともせずに地面に突っ立ったままです。張飛が訳を聞くと劉備は、「木は枝より先に根が張って初めて育つ。だから大木であっても根こそが重要である」と答え、この答えに感服した関羽と張飛は劉備を兄貴分としたのです。
この話はいささか詭弁じみていますが、それだけ「桃園の誓い」や劉備・関羽・張飛という三人の義兄弟という話が古代中国の人々に深く受け入れられていたということなのでしょう。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。三国志を読んだことがあれば知らぬものはいない「桃園の誓い」というエピソードですが、そのストーリーは「三国志演義」が成立するより前から中国の人々に広く受け入れられていて、時にはジョークのような説話のネタになるほど、ポピュラーなものだったのですね。
特に筆者は、三人が誰か兄貴分になるか木登りで争うというのは絵面としても非常にほほえましいもので、力で何とかしようとする張飛を頓知でやり込める劉備というのも、彼らのキャラクターがとても立っていて面白いと思いました。皆さんはいかがだったでしょうか?
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