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司馬昭評
さてでは張悌の司馬昭評へ。司馬昭の蜀征伐に対して、張悌は司馬昭が勝利すると述べました。
「曹操の威勢を民は恐れた。曹丕、曹叡はそれを引き継いだ。しかし心から従った訳ではない。
司馬親子は政権を握ると、政治の煩わしさや過酷さを取り除き、民は司馬氏に心を傾けるようになった。敵は容赦なく排除するが、有用なものは取り立てる。このため人々の心を惹きつけ、簒奪しても成功した。今、蜀の民は疲れている。だから司馬昭が蜀漢に攻め込むのは成功するだろう」
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的確な表現
司馬昭は諸葛誕らの反乱鎮圧の際に、首謀者以外は放免としました。この際に彼の徳と度量に多くの人が惹きつけられました。
また高平陵の変において、クーデターを起こす前夜までそんなことは知らない……これはどこまでポーズかどうか分かりませんが、司馬昭は敵に対して粛々と判断しつつも、恩赦を与えられる者には恩赦を与えます。
だからこそ魏からの簒奪が、簒奪とならずに済んだ。この張悌の見解はそれを的確に表し、そして言語化したものであり、同時に張悌という人物が司馬昭という人間を見抜いていたという慧眼持ちであったことを示す、良い逸話であると思います。
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三国志ライター センのひとりごと
時に張悌は国を滅ぼした要因の一人のようにも思われます。それは全くの外れでもないのでしょう。しかし逸話の数々に慧眼を示し、忠義を示し、その能力を示しているのもまた張悌です。彼でさえ末期の呉は支えきれなかった。偏にそれは晋という国の強大さ。そう思うと歴史がまた一幕、閉じたんだなぁと感じずにはいられない筆者でした。
参考文献:晋書文帝紀 注に引く襄陽記
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