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文学に長けていた?曹爽の弟「曹羲」
曹爽のすぐ下の弟が「曹羲」です。曹爽は司馬懿から権力を取り上げるため、彼を実権のない名誉職にしようと皇帝に上奏文を出します。この上奏文を書いたのが曹羲だと「魏書」にはあります。
彼は他にも「論語」の注釈書に関わるなど、文学的に優れた人物だったようです。曹爽は権力を握ると周囲を見下すようになり、側近と怠惰な生活を送るなど乱れた政治を行いました。曹羲はこれを何度も諌めましたが、曹爽は聞く耳持たず、曹羲は涙を流したといいます。最後は「高平陵の変」で曹爽らと共に権力をはく奪され、謀反の疑いで殺されます。
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そのほかの曹真の息子たち
「曹訓」は曹羲の下の弟です。長兄の曹爽が権力を握ると、彼と共に傍若無人に振る舞い、曹羲に注意をされています。最期は他の兄弟と同じ運命をたどりました。
他の曹真の息子には「曹則・曹彦・曹皚」がいて、曹爽が曹真の跡を継ぐと、ともに列侯の地位を与えられますが、結局は曹爽と同じく殺されてしまいます。彼らの業績はあまりわかっていません。
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【北伐の真実に迫る】
三国志ライターみうらの独り言
曹真は多大な功績を挙げた人物でしたが、彼の息子は優秀とは言えなかったようですね。長男だけならともかく、他の息子たちまでも出世させるのは失敗だったのかもしれません。この辺が一族経営の難しさですね。
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