卑弥呼と言えば「三国志」内の「魏志倭人伝」で言及されている「倭国」(現在の日本)の女王です。「倭人伝」によると、「卑弥呼」は「鬼道」(きどう)という宗教、もしくは占いのようなもので人々を導いていたようです。
今回の記事では卑弥呼の時代に行われていた「占い」とそれに使われていた「道具」について探ってみたいと思います。まずは卑弥呼のプロフィールから。
この記事の目次
「魏志倭人伝」にみえる「卑弥呼」
「魏志倭人伝」は「三国志」の中にある異民族を紹介した文章の一つです。その中に「倭国」として現在の日本が紹介されています。
それによると倭国には「やまたいこく」という大きな国があり、そこは「卑弥呼」と言われる女王が治めていたようです。元々は男性王が国を治めていたようですがまとまらず、卑弥呼を女王に立てると国はまとまったようです。
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卑弥呼が行っていた「占い」とは?
「倭人伝」によると卑弥呼は
「鬼道を使い、人々の心をとらえた」とあります。
「鬼道とは具体的にどんな事かはわかりませんが、おそらく神の言葉を聞き、それを皆に披露するいわば「シャーマン」のようなことをしていたと考えられます。
当時は今と比べて極端に情報の少ない時代ですから、卑弥呼の言葉は大きな意味を持ったに違いありません。卑弥呼はそんな中で人々導くために「占い」のようなものを行っていたと考えられます。当時の人々の「占い」については「倭人伝」に記述が残っています。
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倭国の人々が行っていた「占い」
「倭人伝」によると「年中行事や遠くに旅をするなど何か事があるたびに骨を焼く占いをして吉凶を占う。占いの言葉は中国の“亀卜”の言葉に似ている。焼いてできた割れ目を見て物事の良しあしを判断するのである。」と記載されています。
当時の倭人の「占い」は「骨を焼く」ことだったのです。これは中国にも同じような習慣があったようですが、前述の「亀卜」とはなんでしょうか?
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骨で占い?「亀卜」「太占」とは?
「亀卜」とは亀の甲羅を焼き、そのヒビの形状を見て物事を判断する占いの事です。元々は中国の「殷」の時代(紀元前17世紀~11世紀ころ)に始まったようですが「三国志」の時代にはすでに廃れていたようです。ちなみにその占いの結果を骨に刻み付けたのが「甲骨文字」です。
また、占いに鹿などの骨を用いたのが「太占」と呼ばれ、「魏志倭人伝」にて言及されているのはこちらだと考えられます。と、いうことは卑弥呼は占いの道具として「骨」を使っていた、ということですね。
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卑弥呼の占いの道具が発見された?
卑弥呼が治めていた「邪馬台国」の場所は様々な説があり不明ですが、有力候補の一つ、奈良県の「纏向遺跡」にてある発見がありました。
それは3世紀から4世紀ごろに占いで使われたと思われる「卜骨」が出土したのです。発見されたのはイノシシの骨で、平らに削られ、火のついた棒を押し当てた跡がいくつかあったようです。纏向遺跡が邪馬台国という証拠はありませんが、もしかしたらこれらの骨は卑弥呼の占いの道具かもしれませんね。
また、当時の倭国は「文字はなかった」と言われていますが、骨に何かが刻まれていれば、古代の事を知る貴重な資料になるかもしれませんね。
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