三国志に出てくる宗教で有名なのは、やはり大平道でしょうか。序盤の黄巾党との戦いは、これから天下に飛躍していくであろう英雄たちが幾人も見ることができて、何とも興奮しますよね。
そしてどうにも三国志の中ではそれに隠れがちなのが、五斗米道です。張魯が教祖をやっている、名前が特徴的な文字、もしかしたらそんな印象しかないかもしれません。今回はこの五斗米道をご紹介したいと思います。
この記事の目次
五斗米道の開祖・張魯
さて五斗米道ですが、三国志に出てくる教祖としては張魯が有名ですね。しかし張魯は教祖であり、開祖ではありません。
開祖とはその宗教を開いた祖であり、だいたい奇跡が起こせます(語弊アリ)。例えば大平道の開祖は張角であり、張角も符を用いて使った水で病人を治療するなどしています。そしてこの五斗米道の開祖は張陵といい、張魯の祖父になります。祖父の後は父が、そして三代目の教祖となったのが張魯なのです。
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張角の奇跡
張角は、奇跡を起こしていたことは説明しましたね。張角は符を浸した水を信者に与えて、病気を治したと言います。もちろんこのような奇跡を張陵も起こしていたようです。
その方法は祈祷によるもので、病気になった人たちを祈祷を捧げることで治したというのです。残念ながらこの祈祷がどのようなものかは分かりませんが……できたらぜひ今の時代にも利用して欲しい所ですが、ともあれ、当時から五斗米道は奇跡を起こしてくれた宗教、という認識があり、民衆からは受けいれられていたようですね。
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五斗米道の由来
ちょっと五斗米道という字を見てみましょう。何だか不思議な名前に見えますよね。これにもきちんと意味が有ります。前述したように、張陵は祈祷を行うことで病人を治していました。そうして治した病人や、五斗米道の信者になりたいという人たちに「五斗米」……五斗の米を納品させていたのです。こうしたことからこの宗教は五斗米道、という名になったのです。
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五斗米道は悪徳宗教じゃない?
ではここで、この五斗米がどれくらいかちょっと見てみましょう。現代日本において、一斗は約18L。これを重さに直してみると、15キロです。これで五斗を考えると、大体75キロですね。売られているお米が大体10キロとすると、あれが七つ分以上となります。
なんということでしょう!とんでもない量のお米の量です!
こんな大量のお米を信者に納品させていたなんて……やはり五斗米道は私腹を肥やしている悪徳宗教だったのですね!
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おっとっと?
というのは冗談です。前述したように、この一斗=18Lというのはあくまで現代の一斗です。この一斗は中国の、しかも時代が違うと重さがだいぶ違うのです。例えば後漢時代では一斗は1.98L、魏から西晋時代では2.02Lが一斗とされていました。だいたい、2Lとしましょうか。
この考えでいくと五斗米は10Lのお米、現代の感覚で行くと約8~9㎏ほどになるかと思います。あれ?そこまで多くはないように見えますね?
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