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二宮の変の被害者、正しく諫言したのに孫権に左遷され処刑された朱拠を解説

2022年4月27日


 

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呉でやりたい放題な呂壱(呂壹)

 

晩年の呉と言えば呂壱(りょいつ)事件と二宮(にきゅう)の変という二大悲劇が孫呉を襲ったことは記憶に新しいでしょう(きっと)。この呂壱事件と二宮の変には多くの呉の武将たちが巻き込まれることになるのですが、

 

弁才に長けている朱拠

 

今回はそんな巻き込まれた人物たちの中から、朱拠(しゅきょ)をご紹介します。同時にそんな彼が見抜けなかったとある人物にもちょっと触れてみますね。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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弁舌に優れていた朱拠

朱拠

 

朱拠、字は子範(しはん)といいます。苗字から察する人も多いかと思いますが、呉の猛将、朱桓(しゅかん)は彼とは従兄弟に当たります。朱桓自身も中々の人物ではありますが、それは別の項で。

 

数々の戦で功績をあげる朱桓

 

さて朱拠は若い頃から風格がある人物であり、弁才に長けているという人物でもありました。その一方で他者の才能を見抜き、そしてその才能を重要視するべきだと考えている人物であったようです。

 

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三国志とりかへばや物語

 

 

 

孫権の娘を娶り大抜擢される朱拠

孫権に自害を命じられる朱拠

 

当時、孫権(そんけん)は悩んでいました。嘗ては呂蒙が都督を行い、大変な中でも多くの武将たちが頑張っていた……それなのに今の呉はどうか、皆たるんでいるのではないか?

 

そんな既にちょっと老害のようなことを考えている孫権でしたが、そこで新たに抜擢されたのが朱拠です。孫権は娘の孫魯育(そんろいく)を朱拠の妻とさせ、朱拠は左将軍、雲陽侯とさせました。なおこの後に呂壱事件が起こって朱拠もちょっと被害を受けます。

 

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二宮の変で呉に崩壊の兆しが

二宮の変に巻き込まれて皇太子から格下げされる孫和

 

その後、246年に朱拠は驃騎将軍となり、三年後には丞相代行となります。察しの良い人ならもうお気付きでしょう。そう、この頃の呉は後に二宮の変と呼ばれる、孫権の後継者争いで大変なことになっています。

 

孫登

 

元々、皇太子には長男である孫登(そんとう)が付いていました。しかしこの孫登が病死してしまったために、三男の孫和(そんか)が立太子されていたのです。ですが孫権は皇太子の孫和と、(ろおう)に封じた孫覇(そんわ)の待遇を変えませんでした。

 

孫権に気に入られる孫覇

 

このために家臣たちに派閥が生まれ、二宮の変に繋がります。因みに朱拠は皇太子の孫和派でした。

 

孫亮を後継者として指名する孫権

 

もうちょっと因むと段々孫権は後継者争いに嫌気がさして末っ子の孫亮(そんりょう)を可愛がるようになります。

 

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孫権を諫めて激怒され左遷される

命がけで筋を通す義理に熱い朱拠

 

250年、孫権は皇太子であった孫和を廃太子しました。その一方で孫覇を自害させ、皇太子には可愛がっていた孫亮を立てたのです。派閥争いをしていた家臣たちからすればとんでもないオチを付けてくれたと言った所でしょうか。しかもこの際、廃太子された孫和は幽閉されたとも言われ、これに憤った朱拠は自らの顔に泥を塗り、自分を縛らせ孫権に訴えました。

 

呉の孫権

 

ですがこの朱拠の振る舞いは孫権の逆鱗に触れ、朱拠は棒打ちの刑にされた上に左遷されることになりました。

 

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二宮の変

 

 

孫弘が孫権に悪口を吹きこみ処刑される

諸葛恪と孫峻

 

この際に、孫覇派に取り入っていた孫弘(そんこう)が動きます。彼は病気で寝込んでいた孫権にしきりに朱拠は悪人であると訴え、その挙句に孫権が動けないのを良いことに詔を偽造。孫権の命令として朱拠は左遷前に自害を命じられ、朱拠はそのままこの世を去ります。

 

孫権に見出され抜擢され、にも関わらず朱拠は死を賜る結果となったのです。

 

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佞臣

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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