三国志演義では張飛の死後、その武勇を受け継ぐ存在として張苞が登場し活躍します。この張苞、実在はしているのですが、史実では張飛よりも先に病死していて、おまけに武勇の人ではありません。
では、そんな張苞はいつから張飛の武勇を継ぐ存在として大活躍するようになったのでしょうか?
三国志演義の張苞
三国志演義の張苞は関羽の息子の関興と共に、夷陵の戦いの直前に登場します。この時、劉備は呉の裏切りで関羽を失い、弔い合戦の途中で張飛を失い失意の中にいました。
張苞と関興は、この寂しいムードを払拭せんとばかりに彗星の如く登場。最初は先陣を争って喧嘩しますが劉備が間に入って仲裁し、2人は義兄弟の契りを結び、張苞は関羽の義兄となりました。
その後、張苞は父、張飛の寝首をかいて呉に落ち延びた張達と范彊を殺して父の仇を討ち、関興も父、関羽を討った潘璋を殺して父の形見の青龍偃月刀を取り戻します。
張苞と関興は、その後、諸葛亮の北伐にも参加しますが張苞は、第二次北伐の際に谷に落ちて負傷し傷が元で病死。関興も第三次北伐の前に病死しました。鳴り物入りで登場した割には、張苞の登場期間は短く設定されています。
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三国志平話には登場しない張苞
このように三国志演義には登場する張苞ですが、三国志演義以前に存在した全相平話三国志には、登場しません。
関平や関索、周倉というキャラクターは三国志平話にも登場するのですが、張苞は出てきませんし、ついでに言うと関興も出てきません。つまり、三国志演義の前段階の三国志平話では関羽と張飛のジュニア武将は影も形もないのです。
では、張苞はどこから三国志に出現するのでしょうか?
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元の時代に登場した雑劇「寿亭侯怒斬関平」
関興や張苞のようなジュニア武将は読物ではなく、演劇の中で生まれたようです。例えば、元の時代に演じられた雑劇「寿亭侯怒斬関平」には、張苞や関興のみならず、趙雲や馬超、黄忠のジュニアまで登場します。
一体、「寿亭侯怒斬関平」とは、どんな物語なのでしょうか?
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寿亭侯怒斬関平あらすじ
では張苞や関興ばかりか趙雲や馬超、黄忠のジュニアまで登場する「寿亭侯怒斬関平」のあらすじを説明しましょう。
ある日、関羽の息子関平が馬を走らせていて子供をはねて死なせてしまいます。しかし関平は子供を手当するどころか、急いでいるからとひき逃げしてしまいました。息子を関平に殺された父親は納得できずに関羽に訴え事実は関羽の知る所になります。
義の人関羽は関平が子供をひき逃げして逃げた事が許せず、関平を呼び出し首を斬ると宣言しました。
その事を知って驚いたのが五虎将軍のジュニアたちです。すなわち、張飛の子の張苞、関羽の子である関興、馬超の子、馬忠、趙雲の子、趙冲、黄忠の子黄越の5人がこのままでは関平が殺されると、父である五虎将軍に知らせました。
それを聞いて張飛、趙雲、馬超、黄忠も大いにい驚きます。もちろん関羽に頼んで止めようとなったのですが、強情な関羽が言う事を聞かない可能性もあるので趙雲が策を思いつきます。
さて、五虎将軍は関羽の下に飛んでいき、関平を斬るのは待ってくれないかと頼み込みますが強情な関羽は聞きません。
そこで張飛は啖呵を切り
「俺達五虎将軍の息子達は、俺達三兄弟のように義兄弟の誓いを立てている。兄者が関平を斬るのなら、息子達も生きてはいまいから俺は息子の張苞を斬るぞ!」
関羽もさすがに慌てます。
「これは、私と息子の間の問題であり、お前達は関係がない」と止めさせようとしますが、「兄者が止めないなら俺もやめん」と張飛。
さらに張飛は「関平が息子を殺したと訴えてきたのは一体誰だ、出てこい」と怒鳴り、息子の父親が名乗り出ると「関平を許さないと貴様を殺す」と凄みます。張飛に脅された父親は訴えを取り下げ、関羽も関平を許しました。
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三国志演義は雑劇を取り込んだ
「寿亭侯怒斬関平」は作者も不明で史実を無視した荒唐無稽な内容です。どうも決まった脚本家ではなく、雑劇の役者が作ったのではないかと考えられています。
しかし、雑劇はエンターティメントですから面白い事が最優先で、五虎将軍それぞれに息子がいて、関平がひき逃げ犯になっても面白ければ無問題なのです。
こうして残っていた雑劇を三国志演義は取り込み、五虎将軍全員の息子とはいきませんが、張苞と関興の2名は採用されたという事なのでしょう。
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三国志ライターkawausoの独り言
今回はジュニア武将、張苞がいつから登場したかについて元代の雑劇「寿亭侯怒斬関平」を紹介してみました。三国志演義では失われた関羽と張飛を一時埋め合わせる形で登場する張苞と関興ですが、どうせ虚構なら趙雲の息子、趙冲や馬超の息子馬忠、黄忠の息子、黄越も出したらよかったのにと思いました。
例えば黄忠は子供に先立たれて寂しいので、黄越という息子が出てくれれば微笑ましい親子劇になりそうですけどね…
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