馬超と馬岱はかなり年が離れていた?馬岱を養子にしたかも知れない馬超

2022年6月7日


 

 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀に入る以前の史料がないのは馬岱が子供だから

周倉とホウ徳

 

馬岱の生年、没年は分かりませんが、判断材料の一つに馬超とホウ徳の戦歴があります。203年、馬超はホウ徳と兵を率いて郭援(かくえん)討戦を行っています。

 

馬騰

 

ここに馬岱の名前はなく、後、208年の馬騰の入朝において、馬騰は子の馬休、馬鉄を伴っているものの、ここでも馬岱の名前は出てきません。馬騰が甥を伴わなかったのは、まだこの際に馬岱が幼かったからなのではないかとも考えられます。

 

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馬謖

 

 

 

幼い馬超の子を補佐して馬超の養子になる

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

さて典略(てんりゃく)によると、馬超は張魯の元から離れる際に妻子を置いて行ってしまい、息子は後に曹操に殺されたと言います。これが214年として、後に馬超には馬承(ばしょう)という子がいて、この子が馬超伝では222年に父親の爵位を継いだ、となっています。

 

これらを合わせると、馬超は214年に妻子を失って後継者がいなかったので、従弟で年が離れていた馬岱を養子にして後継者とした。臨終の際に馬岱を祭祀に指名したのも養子にしていたためだし馬承という子供がいたので爵位はこちらに。

 

馬超と羊

 

蜀に来て生まれた子と考えるとそもそも馬承は幼過ぎたのも理由の一つ……となるのではないかと思ったのですが、どうでしょう?馬岱は馬超の養子説、結構有り得るのではないかと思います。

 

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蜀漢の滅亡

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

全く関係ない余談ですが、筆者は従兄弟たちとほぼ10以上、20近く離れており(全員上です)。何となく「従兄弟はだいたいそれくらい離れている」という意識がありました。

 

なので馬岱が馬超よりかなり長生きしていても不思議はなかったのですが、改めて「馬超死んでから馬岱結構生きているな」と思うと、もしかして年が離れているの?という疑問が持ち上がりました。

 

典略をそのまま考えると、馬超が妻子を置いていったのは既に馬岱がいるからこの子養子にすればいいか……という考えがあったのでは、とも思うのですが、いかがでしょうかね?

 

参考文献:蜀書馬超伝 典略 魏延伝 晋書宣帝紀

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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