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正史では結婚後、数年で呉に帰りそれっきり
因みに諸葛亮は「北に曹操、南に孫権、内に孫夫人」と、劉備の脅威の一人として孫夫人を数えているほど。また三国志演義では涙の別れとなってしまった二人ですが、そもそも元々から仲が良くなく、別居し、最終的に呉には帰ってしまった……となってからは分からなくなります。
これを良く三国志演義であそこまで綺麗な関係に出来たな、と感嘆してしまいますね。
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孫権は乱暴な妹を劉備に嫁がせ困らせたかった
で、これは本当に失敗だったのか?というと孫権目線からするとそうでもありません。そもそも別に孫権は劉備と末永く手を取り合ってやっていこうとか思ってなかったでしょう。と、すれば別に孫夫人は劉備と仲良くしなくていいのです。
むしろ劉備を困らせてそちらに頭を悩ませるのがベスト。更に言うなら孫権の妹として拘束されて人質にもされず、別居からの帰宅。
困らせるだけ困らせて、もしかしたら内情を流していて、最後はさっさとあばよ!です。
もしかしてこれ、全部孫権の想定通りだったのかな……と思うと、孫権、妹の使い所を分かっていたのか?
意外とこの兄妹仲良かったのか?
なんて、考えた次第でした。
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三国志ライター センのひとりごと
三国志演義の二人は、正に悲恋、涙無くしては見れない二人の姿を見ることができます。それに比べて正史は……なにこれ……とかつては思ったものですが。前提として蜀と呉、劉備と孫権がそもそも仲良くない、と考えると、これが中々どうして上手くいった政略結婚ではないでしょうか。
そう思ったら呉王様、やるじゃん!本日は酒池におひとつどうぞ!
どばーん!
参考文献:蜀書先主伝 法正伝 三国志演義
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