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諸葛亮の功績とは?孔明は本当に軍事と政治の功績を残せたのか?

2022年8月17日


 

はじめての三国志_ページネーション

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諸葛亮の功績

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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派閥の垣根を壊した孔明

劉禅と孔明

 

劉禅が即位してからの蜀漢政権は、大別すると益州土着の人士と荊州(けいしゅう)出身の人士で派閥が形成されていました。劉備(りゅうび)の時代は益州土着の人士が要職についたケースは稀です。基本的には旗揚げ当初から付き従っていた古株や荊州時代から加わった人たちが中心となっていました。

 

諸葛亮は北伐に際して、人材不足解消のためにそれまでの流れを断ち切り、益州土着の人士を重役につけています。

 

費禕

 

ただ、政治の中枢を担う尚書台(しょうしょだい)には、益州人が少ないので完全に改善できたわけではありません。とはいえ、費禕(ひい)の時代には尚書台にも多くの益州人が進出するようになっているので、諸葛亮の功績は大きいと言えます。

 

多様化が進む蜀の国(文官)

 

残念な点としては、益州人は既得権益を守ることが優先となっていたために、蜀漢滅亡の危機に際して降伏派に傾いてしまい、朝廷内での内部分裂を招いてしまいました。

 

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劉禅

 

 

法による国家運営を築いた諸葛孔明

法正と協議して蜀の法律を作る伊籍

 

劉備が成都を攻略した後、諸葛亮は法による統治を主張し、法正(ほうせい)伊籍(いせき)李厳(りげん)劉巴(りゅうは)らとともに蜀科(しょくか)という法律を作りました。諸葛亮はこれに従って厳格に処罰を行ったため、国は安定して統治することができました。

 

仕事が出来る法正に何も言えない文官たち

 

もともとはただの軍事勢力に過ぎなかった劉備軍が、百万を超える民を従える立場になったこと、そして上述したような様々な派閥の垣根を超えて、国家として一つにまとめる上で法治は不可欠だったと言えます。

 

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法正

 

 

呉との国交回復に努めた諸葛亮

呉の孫権は皇帝

 

夷陵の敗戦後に孫権(そんけん)は国交の回復を願い出ており、劉備もこれを承諾しています。ただ、これだけでは呉はまた裏切るかもしれません。

 

そこから再び同盟を結ぶところまで関係を修復し、それを維持し続けたのは諸葛亮の功績と言えるでしょう。結果的に同盟は蜀漢が滅亡するまで続いているので、弱体化を始めていた蜀漢政権の寿命を延ばしたとも考えられます。

 

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二宮の変

 

 

三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

筆者的に諸葛亮の一番の功績は劉備に隆中対(りゅうちゅうたい)を説いたことだと考えます。それが全ての始まりであり、後の建国や長期に渡る国家存続へと続いていくからです。

 

孔明

 

むしろこれがなく、諸葛亮が晴耕雨読(せいこううどく)の生活を続けていれば、劉備勢力は荊州で滅ぼされていたでしょうし、これだけ後世に残る功績が生まれることもなかったように思います。

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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