皆さんも大好き、通称ハチミツ皇帝・袁術様。初期の頃はそれなりに策略を巡らせているような振る舞いをしているのに、あれよあれよという間にどんどん落ち目になり、袁紹と曹操が北で基盤を作り上げた頃に「朕は今日から皇帝ね!」をやらかしてしまった人。
しかしてその皇帝を名乗った袁術様を一度は思い直させた人物がいたことはご存知でしょうか?
今回はその人物、閻象についてお話したいと思います。
この記事の目次
袁術様に仕える閻象
さてさて閻象は袁術の配下です。とは言っても、それ以前はどうしていたのか、何処出身なのか、それは分かってはいません。記録されているのは袁術の配下で、主簿をしていたということ。
主簿とは文章の作成などの、事務仕事をする役職です。こう言ってしまうとちょっと地味に感じるかもしれませんね。ではそんな閻象がどうして歴史に名前が残ったかと言うと、とある事件がきっかけです。
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袁術「漢の命運は尽きた」
当時は董卓がやりたい放題をしていたちょっと後のこと。その董卓がいなくなったらいなくなったで李カクやら郭シやらがやりたい放題、そもそもそれ以前から黄巾の乱が起こったりしていて、漢王朝の権威は地に落ちていました。
そこで袁術、抜群の判断力で宣言します。
「漢の命運は尽きた!」
それはそうだと誰もが分かっていても、口に出すことはしませんでした。それを言ってしまうと反逆罪になるからです。しかも袁術は皇帝がまだ存命にも関わらず、自らが皇帝を名乗ろうとし始めます。
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閻象「お待ち下さい」
そんな中、誰も袁術に応えようとしない中で、唯一進み出たのが閻象です。
閻象曰く、「昔、周の国は天下の三分の二を治めても殷に臣下として長く仕えていました。漢王朝は今だ健在であり、その時ではありません」何も主のために戦場で戦うだけが忠義ではありません。
言わなければならないことを、言わなければならない時に言うのもまた忠臣の在り方。これができたからこそ閻象は歴史に名を残せたのでしょう。
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かくして二年後
袁術は閻象の言葉に不機嫌になりました。しかし、それでも閻象の言葉が間違ってはいないと思ったのでしょう。袁術はこの時、皇帝を名乗ることを諦めました。
そして二年の時が過ぎ、197年。
「漢王朝の命運は尽きた!(二回目)」再び袁術はこれは天の意思であるとして、皇帝を名乗ってしまいます。このためあれよあれよと転がり落ちていくのですが……それはまた別のお話。
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