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呂布と袁術で婚姻がまとまらず呂布娘失速
さて呂布が劉備から徐州を奪った経緯には、袁術が裏で糸を引いていたという説があります。つまりもっと前から袁術と呂布は手を組んでいたんですね。
しかし呂布を信頼していない袁術は、自分の息子と呂布の娘を結婚させて、婚姻関係を結ぶ契約を持ちかけました。この婚姻関係自体は呂布も承認したものの、袁術が自分を迎えなかったのを恨みに思っており、続く袁術の話を断った、という流れのようです。
ややこしいですが、最初の話では婚姻関係をあくまで言葉で結び、途中で呂布が機嫌を損ね、改めて袁術が持ち掛けた時には断られて……という流れですかね。
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正史の呂布娘はその後どうなった?
さてさて、正史を追ってみても呂布の娘の記述はこのくらいしかないのです。
あくまで記録として残されているのは「袁術の息子と呂布の娘の婚姻による同盟関係」「があったけれどそれが遂行されたかどうかは良く分からない」という感じですね。
そして知っての通り、呂布は下ヒで曹操に敗れ、投降した後に処刑されました。三国志演義では家族について記録がありますが、正史では呂布の家族についての記録はないのです。で、ここからはちょっと妄想です。
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曹操秘蔵の呂布娘として大事にされた?
まず呂布は討ち死ではなく、投降からの捕縛、家臣に自分を捕縛するように言っても周囲はそれを承諾しなかった、とあります。また陳宮の母親と娘は保護され、曹操が後々まで手厚く面倒を見た、ということは記録されていますね。
この記録だけを見ていくと、下ヒでは呂布投降前後で、激しい混乱や略奪は起きなかったのではないでしょうか。そう考えると、呂布の妻子もまた、曹操に保護されていたのではないかと想像しました。
かと言って呂布の妻子と分かると、呂布が多方に有名だったために密かに保護されて余生を過ごしたのでは……と思いました。契約として袁術の息子と婚姻関係を結んでいたので、存在を秘匿された可能性もありますね。
なのでそこまでひどい扱いは受けていない、と筆者は考えますが、皆さんはどう思いますか?
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三国志ライター センのひとりごと
敗北後って想像を絶する略奪やら何やらで被害にあう人々が多く、歴史と時代と考えると仕方のないこととは思いますが、それでもやっぱり何とか無事であって欲しいとも思ってしまいますね。
個人的には呂布の娘、袁術の息子と婚姻関係を結んでいたにも関わらず、その後は一切出てきていないのが気にかかります。今回はそこを逆に秘匿されたもの、と考えましたが、うーん、色々な想像をしてしまいますね。これもまた三国志の沼、本日は呂布の方面からお伝えしました。
どぼーん。
参考文献:三国志演義 魏書呂布伝 袁術伝
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