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司馬懿の古女房、張春華
さあ最後にご紹介するのは晋の穆皇后、張春華です。彼女は言わずと知れた司馬懿の正室であり、司馬師、司馬昭両名の実母。大変な才女でもあり、また苛烈なエピソードも残っている女性でもあります。
良く知られている所では「夫の仮病を知られてしまった侍女を殺害事件」……などが有名でしょうか。また才女すぎて司馬懿も頭が上がらなかった、というような解釈をされることもある女性ですね。
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孫が晋帝国を建国したお陰で宣穆張皇后に
そんな張春華は司馬懿よりも10歳ほど年下の妻でしたが、司馬懿の長生きもあって夫よりも先に死去しています。この時のおくり名が「穆」です。当たり前ですがこの当時は司馬懿は皇帝ではありませんからね。
しかし265年、次男司馬昭の息子、司馬炎が晋の皇帝となると、司馬懿はおくり名の「宣」より宣帝として、そしてその正室である彼女は宣穆張皇后とされました。
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穆は平凡な意味であたりさわりがなく広く用いられた
さて、誰も彼もが穆皇后でややこしいですが、時期がずれているのでまだ分かりやすいですかね。因みにこの「穆」という漢字にはきちんとした意味が有り、和らぐ、和やか、睦まじく、慎ましやか、という意味が有ります。
そう言われて振り返ってみれば、その辿った運命は違えども、どの女性も夫を陰ながら支えた女性たち。そんな彼女たちだからこそ、穆皇后という名前を送られたのかもしれませんね。
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三国志ライター センのひとりごと
エピソードだけ切り抜くと、曹節や張春華などは中々苛烈な一面を覗かせ、穆、という文字に少々違和感も覚えるかもしれません。
しかし彼女たちの苛烈さは、あくまで夫を外敵から守るためのもの。普段は慎ましく、そして夫に危険が迫れば穏やかな女性も牙を剥く。そういった女性もまた、妻として、女性として魅力的だと、筆者は思いますね。
どぼん。
参考文献:蜀書二主妃子伝 後漢書皇后紀下 晋書列伝第1 后妃上
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