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孟達の人生は面白いが…それより面白い孟達の父孟佗の出世話

2022年10月5日


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孟達

 

皆さんは「孟達(もうたつ)」についてどのような印象がありますでしょうか。三国志演義(さんごくしえんぎ)を見たイメージだと「何やかや理由付けて関羽(かんう)を見殺しにした人」でしょうか。

 

正史(せいし)を追っていくと「あっちこっちで何か裏切る人」……かもしれません。もしかすると「何かそんなに印象が残ってない」という人もいるかもしれませんね。

 

さて今回はそんな孟達……よりも、実は面白いかも?

孟達とその孟達パパのお話をしてみようと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孟達はそもそもお友達の法正(ほうせい)とは違って、伝が立てられていません。このため三国志(さんごくし)の各伝を追っていく必要があって、ちょっと面倒な人でもあります。なのでもしかすると三国志演義を読んでしまう方が分かりやすいかもしれませんね。

 

元々は劉璋(りゅうしょう)に仕えていて、友人の法正と一緒に劉備(りゅうび)に仕えることになります。この法正とは同郷でしたが、飢饉から逃れるために益州(えきしゅう)の劉璋に仕えることになったと言われています。

 

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しかし劉備に仕えるも、関羽の一件で劉備から離れることになりました。この時に古の楽毅(がくき)の書を引用するなど、弁の立つ人物でもあったようです。

 

その後は()に降伏して曹丕(そうひ)に寵愛されるも、曹丕の死後は再び(しょく)に寝返ろうとし、謀反計画がバレて誅殺されることになります。このため、あまり良い印象がない武将の一人でもありますね。

 

孟達を討伐する司馬懿

 

もうちょっと言うと、印象に残らないイメージもある人物でもあると思われます。

 

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父親の孟佗も曲者だった

十常侍(宦官)

 

さて、そんな孟達ですが、前述したように弁の立つ人物でもあったと評判でした。実際に劉備への手紙、そして劉封(りゅうほう)への手紙などでその弁才は窺い知れます。……とは言え、手紙の文面だけ見るとどうにも長々しく、ちょっとくどく感じる面もあるのは否めませんが。

 

そんな孟達の才能、実は父親譲りではないかと思われます。孟達の父親は孟佗(もうだ)と言い、宦官(かんがん)の「あの」張譲(ちょうじょう)に賄賂を贈って涼州刺史(りょうしゅうしし)を得た人物なのですが、その過程が中々に面白いのでご紹介しましょう。

 

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その頃、我が世の春だった宦官張譲

張譲(宦官)

 

霊帝(れいてい)の時代に、宦官たちが宮廷で権威を誇っておりました。その内の一人こそ、中常侍(ちゅうじょうじ)・張讓です。

 

霊帝は張譲を「我が父」と呼ぶほどに寵愛しており、張譲もそれを良いことにやりたい放題しておりました。何せ皇帝にそれほどに信頼され……そして良いように政治を操れる人物でもあります。

 

張譲と何とか顔を繋げたいと思う人物は多く、多数の者たちが彼と会うことを望み、多くの賄賂を贈ったと言います。

 

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関羽

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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