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魏延:性格から見えるあの有名人への熱烈な愛![驚き]

2023年7月10日


 

蜀の魏延

 

魏延(ぎえん)は蜀(221年~263年)の将軍です。劉備(りゅうび)劉璋(りゅうしょう)から蜀を奪う時期に従軍して活躍しました。

 

魏延

 

劉備からの信頼は厚く、重要拠点である漢中の守備に関しては張飛(ちょうひ)を差し置いて任命されました。

 

魏延からの提案を却下する孔明

 

ところが劉備の死後は、諸葛亮(しょかつりょう)と軍事の政策面で意見が衝突しました。諸葛亮の死後は、楊儀(ようぎ)と対立して(220年~265年)に逃亡しようとしますが殺されました。

 

不満が溜まる魏延

 

さて、魏延(ぎえん)とはどんな性格の人だったのでしょうか。三国志演義』の影響のせいか、彼は性根が腐ったような人物として描かれます。しかし実際はどうだったのですか。今回は魏延の性格について解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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面倒見がいいが傲慢な魏延

呉懿と魏延

 

正史『三国志』によると、魏延は兵士をよく養成して、人並み外れた勇猛さを持っており、誇り高い性格だったと記されています。そのため、人々は魏延を恐れてへりくだっていたようです。どうやら、魏延は下っ端の兵士に対しての面倒見はよかったようです。ただし、傲慢な性格でもあるとわかります。

 

蜀の魏延

 

実際に諸葛亮に意見をするも取り入れられないので、自分の力が発揮出来ないと人にブツブツと愚痴をこぼしていました。こういう傲慢な性格は、関羽(かんう)と似ています。

 

 

 

韓信リスペクトする魏延

韓信

 

実は魏延がリスペクトしていたと思われる人物がいます。韓信(かんしん)です。

 

劉邦

 

韓信は前漢(ぜんかん)(前202年~後8年)の初代皇帝の劉邦(りゅうほう)に仕えた将軍です。全軍の責任者として劉邦を支えましたが、建国後はその力を恐れた劉邦により粛清されました。この韓信も兵士をよく指揮して、人並み外れた勇猛果敢さで知られていました。魏延が漢中の守備を命じられた話は前述しました。この時に劉備は魏延に曹操(そうそう)からの防衛に関する策を尋ねました。

 

項羽

 

尋ねられた魏延はスラスラと答えるのですが、これは劉邦が韓信を軍の責任者に任命した時に項羽(こうう)の対策を尋ねた時の故事と一緒です。また、諸葛亮の第1次北伐の時も諸葛亮と二手に分かれて行動することを進言します。

 

これも韓信が項羽討伐の時に行っていた手法です。相当な韓信リスペクトですね。

 

 

 

豹変する『三国志演義』の魏延

楊儀と魏延

 

魏延の性格が豹変するものを簡単に見れるものは、創作物ですが『三国志演義(さんごくしえんぎ)』です。

『三国志演義』での魏延は諸葛亮に裏切りそうな顔だと言われます。

 

魏延と孔明

 

顔で決めるなんて『三国志演義』の諸葛亮は最悪ですね。でも、人は見た目が1番ですね。ひどいことは言われましたが、魏延は途中まで諸葛亮に従順な人物として描かれています。魏延の性格が豹変するのは諸葛亮の第4次北伐からです。

 

司馬懿

 

司馬懿(しばい)に作戦を読まれて1回だけ負けるのですが、その時から魏延は人が変わってしまいます。表では言わないのですが、裏では部下に対して諸葛亮の悪口を言うようになります。

 

司馬懿と魏延

 

初期の従順な態度はウソのようです。諸葛亮も最初は無視していたのですが、あまりにも悪口がひどくなったので、司馬懿と一緒に焼き殺そうと計画しました。だが、これは雨が降ったので失敗します。

 

孔明

 

その後もエスカレートしていくので、諸葛亮は死ぬ間際に馬岱(ばたい)を呼んで魏延が反逆したら殺すように命じておきました。

 

「ここにいるぞ!」と言いながら魏延を切る馬岱

 

諸葛亮の死後、反逆した魏延は馬岱の手により殺されました。

 

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上、魏延の性格に関しての記事でした。魏延は蜀に人材がいなかったことから、非常に重宝された将軍の1人です。

 

魏延の謀反を察する孫権

 

しかしそのためなのか、己が出来ると勘違いしてしまい、逆に身を亡ぼすことになってしまいます。この手のタイプは現在の社会にもよくいます。

 

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魏延を考察!もしも劉備が赤壁の戦いで負けていたらどうなっていた?

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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