三国志、として呼ばれる書物は大きく分けて二つあります。一つは陳寿の記録した歴史書、三国志、通称正史三国志と呼ばれるもの。
そして羅貫中の書いた歴史を基にして書かれた小説、三国志演義と呼ばれるもの。今回は前者である、正史三国志と呼ばれる三国志は、どこまで本当?という疑問に少々お答えして見たいと思います。
この記事の目次
三国志という歴史書
まず三国志という歴史書についてお話しましょう。三国志は中国の三国時代について書かれた歴史書です。書いたのは陳寿、西晋の官僚で、元は蜀の人物でもありました。
歴史書が書かれた時代は主に280年以降、西晋による中国統一後とされています。その評価は高く、司馬遷の「史記」班固の「漢書」范曄の「後漢書」と並び、二十四史の中でも優れた歴史書であると言われています。
三国志における正当性
そして三国志としてまとめられた三国時代ですが、群雄割拠の時代ということもあり、悩ましい問題点として皇室が複数あった……
つまり魏の皇帝曹丕、蜀の皇帝劉備、呉の皇帝孫権そして蜂蜜皇帝袁術が並び立ったことで、その前の時代の漢王朝から受け継いだ正当な王朝はどこだ?という疑問点に対しての陳寿の判断を読み取ることができます。
三国志は魏書、蜀書、呉書から成り立っていますが、この内、魏書には「本紀」が四巻まとめられているからです。このため、三国志は魏を漢の正当な後継として書かれている、と言われています。しかし、ここに疑問を挙げる声もあります。
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「陳寿の曲筆ではないか」
三国志を書いた陳寿は、元々は蜀の人物でした。また魏に本紀を纏めながら、蜀の皇帝である劉備、劉禅を先主、後主と題してまとめてあります。これは陳寿が亡き祖国への思い入れを捨てきれなかったから、とも言われているのです。となると必然的に「蜀に都合よくまとめたのでは?」という懐疑も生まれてしまいますね。
また陳寿は賄賂を寄こさなかったから伝を立てなかった、嘗て諸葛亮親子に恨みがあったから非難しているなど、陳寿による、私情の曲筆を疑う声もなくはありません。
「歴史とは、勝者の創るものである」
とは言っても、陳寿が書いた歴史書、三国志が成立したのは晋の時代です。つまり言ってしまうと、晋の意に沿わないことは書けない、とも言えるでしょう。
これは筆者の個人的な考察ですが、晋としては、司馬一族が魏から(ほぼ)簒奪したという事実がある以上、魏が正当であり過ぎても、なさ過ぎても都合が悪かったのではないか、と思います。そのため、敢えて陳寿も魏を本紀としつつ、蜀に「先主」という用い方をしたのではないでしょうか。
……という魏と蜀に対する思惑は色々なものがあるに比べ、逆に呉は特に贔屓忌憚なく、フラットな目線でまとめられている、というちょっと面白い意見もあるのが、歴史書のおかしな所ですね。
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陳寿の三国志、歴史書としての評価は?
三国志が成立した当初、人々はこの歴史書を称賛したといいます。また晋の張華はこの三国志を読んで絶賛し「次の晋書はこの次に任せるべきである」とまで言いました。……とは言え、陳寿を推挙したのは張華なので、その贔屓目も無きにしも非ず、という所でしょう。
また夏侯淵のひ孫の夏侯湛はいくつもの書物や伝記を残した人物ですが、三国志を見て自らの書いた魏書を破ってそれきり、筆を折ったともされています。これらの評価もあり、三国志は歴史書として非常に高く評価されているのです。
三国志、どこまで本当?
さて、では三国志はどこまで本当か、と言われると難しいものがあります。私たちは正確な歴史を当時に赴いて調べるというのは、ほぼ不可能であるからです。
ただ陳寿の書いた歴史書、三国志が評価の高い理由の一つに「簡潔さ」が挙げられます。陳寿は三国志を編纂する上で、信憑性の薄い史料を排除したため、内容がかなり簡潔です。このため奇妙奇怪な説などが乗っていないことから、三国志の「本当さ」は高められていると言って良いでしょう。
このために後に裴松之の注釈が入り、様々な異説も盛られたことで読み物としての楽しさも加えられ、一層、書物として無欠、に仕上がったとも思いますね。
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歴史書としての三国志と、史書の読み方
最後に、歴史書に正確さを求めてしまうのは、当然の行為でもあります。そしてどこまで本当なのか、それを求めるのも、当たり前と言えるでしょう。
しかし歴史書から読み取れるのは、書かれていることだけではありません。その歴史書が書かれた時代背景……三国志であれば、成立したのが晋の時代であることなど、また書いた人物の立場などを鑑みるとこで、色々な見方ができます。
どこまでが本当か、だけでなく、これが本当でないとしたらどういう意図が当時にはあったのか。そういう読み方をして見るのも、また楽しい読み方なのではないでしょうか。
三国志ライター センのひとりごと
三国志を書いたのは、陳寿です。しかし個人的には、そこに注釈を加えた裴松之も忘れてはならないと思います。あくまで簡潔に、歴史の事象をまとめた、と考えられる陳寿の記述に並ぶ、個人的感情たっぷり色々詰め合わセットな裴松之の注釈。
このどちらもが欠けても三国志ではない、と思います。そして裴松之の注釈が敢えて、正確性よりも「こういう説もある」を乗せたこと。そこから三国志という歴史書に関わった人物たちの感情が読み取れるような、そう思った筆者でした。どぼーん。
参考:三国志
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