もし曹植が魏の後継者だったら後漢王朝はどうなっていたの?あり得たかもしれない献帝の最後の延命策!

2023年4月23日


 

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曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

壮大な歴史物語である『三国志さんごくし』は、劉備りゅうび曹操そうそう孫権そんけんという三人の英雄が並び立ち、三つ巴で天下を争奪しあった時代として有名です。ですが、この3人に注目しすぎると、ひとつ大事な点が抜け落ちてしまいます。

 

献帝

 

劉備りゅうび曹操そうそう孫権そんけんが争い合っていた頃、実は前政権であるところの後漢王朝ごかんおうちょう、最後の皇帝である献帝けんていは、まだ生きていたのです。

 

献帝を傀儡化する曹操

 

いやそれどころか、献帝けんてい曹操そうそうの監視下で事実上すべての権力を剥ぎとられていたものの、名目としては「皇帝」のままでした。形として後漢王朝ごかんおうちょうは健在だったのです!

 

魏王に就任する曹操

 

強烈な改革者とみなされがちな曹操そうそうですが、皇帝の座を奪いかん王朝にトドメをさすことはしませんでした。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹丕にトドメをさされた後漢王朝に生き残り戦略はあったのか

皇帝に就任した曹丕

 

献帝けんていから帝位を奪い、後漢王朝ごかんおうちょうを名目的にもクローズに追い込んだのは、実は曹操そうそうの息子、曹丕そうひの所業となります。

 

 

司馬懿と曹丕

 

もちろん曹丕そうひが一人でやったわけではなく、彼の取り巻き達が算段を巡らし、いわゆる「禅譲」のお膳立てを整え、すべてを遂行したわけですが。

 

漢中王になる劉備

 

この曹丕そうひの行動を受けて、益州の劉備りゅうび後漢王朝ごかんおうちょうの復興を掲げて皇帝となり、さらにそれに対抗して孫権そんけんも帝位を掲げます。

 

魏の皇帝になる曹丕

 

意外なことに「後漢王朝ごかんおうちょうにトドメをさす」というレッドラインを越えて三国対立の構図を完成させたのは、独裁者のイメージの強い曹操そうそうではなく、その息子の曹丕そうひなのです。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

ですが、ここでひとつ、考えてみましょう。献帝けんてい後漢王朝ごかんおうちょうを失わず、帝位を保ち続ける手段は、なかったのでしょうか?

 

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もう一人の後継者候補、曹植ってどんな人?

曹植と曹丕に期待する曹操

 

いちばん思いつきやすい「献帝けんていわずかな生き残りチャンス」策としては、そもそも曹丕そうひ曹操そうそうの後継者にならず、弟の曹植そうしょくが二代目になっていたら、というシナリオを考えることです。

 

後継者争いをしている曹丕と曹植

 

このシナリオは決して突飛な架空物語のネタではなく、実際に、曹植そうしょく曹丕そうひの座を脅かす重要な後継者候補でした。

 

曹植は軟弱ではなかった

 

結果としては曹丕そうひが後継者になったことで、曹植そうしょくはかろうじて命を助けられるとはいえ、その後は側近を粛清され、権力の座からは追放されてしまいます。

 

枝豆と煮豆 曹丕と曹植

 

しかしこの曹植そうしょく、詩の才能では曹操そうそうに匹敵する人物として中国の文学史上ではいまだに高名を轟かせている俊才。また若い頃から、父の曹操そうそうに寵愛されてしばしば戦場へも連れて行ってもらっていたあたり、父親からの英才教育と影響をしっかり受けていた人物のようです。

 

曹丕が嫌いで曹植に付く丁儀

 

曹丕そうひに潰されてしまったためにその実力は未知数のままですが、その周囲には(史実では曹丕そうひに粛清されてしまったとはいえ)そうとう優秀な人材が側近として集まっていたようです。曹植そうしょくが魏の後継を取る、というシナリオは、決して絵空事ではなかったはずです。

 

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曹植が魏の後継者になると起こること

曹植

 

では何らかの形で、史実とは異なり、曹植そうしょく曹丕そうひ一派を抑え込んで権力掌握に成功していたら、魏という王朝はどのような展開を迎えていたでしょうか。

 

ざっと考えられるのは、以下のシナリオです。

 

プロ野球を学んでいる荀彧

 

司馬しば一族ではなく、荀彧じゅんいく荀攸じゅんゆうを出した「荀氏」が政権の中枢に入る
司馬しば一族ではなく、楊修ようしゅうを出した「楊氏」も政権の中枢に入る

 

曹植

 

つまり、どちらかといえば教養人ないし文人対応の人物が重用されることになります。宮廷の雰囲気は文や伝統、礼や格式を重んじる空気となり、過激な権力奪取などはできるだけ避ける政権となったかもしれません。そんな雰囲気の宮廷に後漢の最後の皇帝、献帝けんていがいたら?名門の荀氏や楊氏にそれなりに遇されながら、もう少し帝位に安泰に居座ることができたかもしれません!

 

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献帝

 

しかし、この曹植そうしょくシナリオを考えてみても、献帝けんていの運命はどうやら絶望的なようです。曹操そうそうがしっかりと構築した地盤を引き継いだ曹植そうしょくが、たとえ曹丕そうひより穏健な政権運営を目指したとしても、大筋では曹操そうそうの描いていたプランから外れる生き方にはならないと思うからです。

 

漢李カク・郭祭り78 献帝

 

曹植そうしょく政権下では、献帝けんていはそれなりに尊敬されて生き永らえつつも、権力を取り戻すことなどは、やはり許されないままだったでしょう。せいぜい、父親の曹操そうそうの時代よりは、宴会や詩文の披露会に呼ばれて礼儀正しくされる社交の場が増える程度ではないでしょうか?

 

献帝(はてな)

 

ということは、曹植そうしょくが後継者である世界の献帝けんてい、決して明るい人生に変わるわけではない。単に、「傀儡としての帝位に就いていられる時間がもっと長くなる」だけなのです!

 

撃剣を使う曹丕

 

「それはそれで、もう少し長く後漢王朝の看板を掲げる夢は見られたではないか?」そうかもしれません。ただ史実を復習すると、かの曹丕そうひは帝位を奪った後、肝心の献帝けんてい自身の命をとることまではしていません。献帝けんていは帝位を奪われて山陽公という地位に落とされるものの、夫人とともに静かな余生を過ごすことは許されました。

 

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三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

その史実ではないシナリオ、すなわち曹植そうしょくが政権を握ったの世界で、史実よりもさらに十余年、モタモタと献帝けんていが帝位に居座り続けていたら?

 

 

献帝

 

 

曹植そうしょくの身に何かがあって、その次の後継者がを引き継いだとき、献帝けんていにはさらに過酷な最期が用意されたかもしれません!そもそも、この時代の過酷さを俯瞰した場合、「命だけは助けてくれた」という点で、曹丕そうひの対応は必ずしも「最悪」のレベルではなかったかもしれず。

 

黄河を悲しそうに渡る献帝

 

献帝けんていは史実どおりに、曹丕そうひに帝位を奪われ追放されながらも夫人との静かな余生を過ごす時間は許してもらえたのが総合点では幸運だったのか?それとも、たとえ史実よりもう少しわずかな時間稼ぎにすぎなくとも、後漢王朝ごかんおうちょうの看板をもう少し掲げ続けていたほうが幸せだったのか。

 

献帝を保護する曹操

 

いずれにせよ、見えてくることは、曹操そうそうによる後漢王朝ごかんおうちょうの傀儡化は既に決定的なところまで完成されてしまっていたという点。よしんば曹丕そうひより穏健な曹植そうしょくの政権が成り立ったとしても、後漢王朝ごかんおうちょうのトドメが刺されるのは時間の問題だった模様、という過酷な認識です。

 

献帝

 

曹操そうそう時代のうちにあそこまでいいようにやられた献帝けんていは、もはや何をしても、「献」帝の名前を送られる運命から、脱出する手はなかったのかもしれません。

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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