花関索伝とはどんなあらすじ?英雄たち衝撃の結末


 

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関索

 

 

関索かんさくと言えば、大体「関羽かんうの三男」として出てくる息子であり、イケメンであり、色々と優秀であったり、かと言えば何か脳筋ぽかったり、実は存在しなかったり。そんな関索かんさくが出てくるのが花関索伝、というか関索かんさくが生まれたのがこの花関索伝の由来です。

 

 

花関索伝の表紙 書類

 

 

今回はこの花関索伝について、あらすじをざっくりと見ていきたいと思います。三国志や三国志演義とはまた違う、英雄たち衝撃の結末も見所です!

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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花関索伝が発見された経緯

魏志倭人伝の表紙 書類

 

まずちょっと最初に、花関索伝が発見された経緯もざっくりと。花関索伝が発見されたのは1967年のこと。それは上海市近郊の農地の整理中に偶然発見されました。それは明代の墳墓の随葬品であり、大変貴重なものではあったものの当時は文化大革命の真っ最中。これは個人的に保管されて、1972年に古書買い受けから世間に広まることとなり、一躍有名となりました。この発見されたものの中に

 

「新編全相説唱足本花関索出身伝 前集」
「新編全相説唱足本花関索認父伝 後集」
「新編足本花関索下西川伝 続集」
「新編全相説唱足本花関索貶雲南伝 別集」

 

 

という集があり、一般的にはこれらが「花関索」として呼ばれることとなります。ではそんな花関索のあらすじをざっくりと見ていきましょう。

 

 

 

「花関索」世に誕生す!

桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

さあ時代は桃園の誓いがあった頃、劉備を長兄として義兄弟の誓いをした関羽かんうと張飛は、兄のためにも自分たちの弱みと憂いは少ない方が良いと、お互いの妻子を殺すことにします。そういうことすると後から蜀が人手不足になるぞ!

 

 

 

しかし張飛は身重だった義姉を殺すことが出来ず、見逃すことに……こうして後に、母一人子一人となって、父も知らぬままに生まれたのが関索かんさくでした。しかし7歳になった関索かんさくはお祭りの日に迷子になり、母親と離れ離れになってしまいます。

 

 

関羽と関索

 

そんな関索かんさくを助けて引き取ってくれたのが「索さん」で、お金持ちの彼に大事に育てられた関索かんさくはその後「花岳先生」に武芸を習い、18歳で実の父親が関索かんさく立派な若者となった索童は18歳の時、実の父親が「関羽かんう」であると知り、三人から一文字ず文字を貰って「花関索かんさく」と名乗り、関羽かんうに会いに行くことになるのでした。

 

 

ヒロイン登場の巻(多数)

鮑三娘(関索の妻)女性

 

父親である関羽かんうに会おうと旅を続ける関索かんさく。旅の最中に鮑家の娘の噂を聞き、その娘こと鮑三娘に戦いを挑みます。鮑三娘は美女でありながら武芸の達人でしたが、50合も打ち合わぬうちに関索かんさくに馬から突き落とされて敗北。

 

関索とラブラブな鮑三娘(女性と結婚)

 

 

関索かんさくの強さに感動した彼女は関索かんさくと結婚することになった関索かんさくは、その後、襲ってきた彼女の元カレを返り討ちにしたり、旅の最中に出会った王桃、王悦姉妹と戦って勝利してお嫁さんにしたりしつつ、旅を続けていきます。

 

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父親(関羽)との再会と関索の気になるこれからの立ち位置

赤兎馬のモデルとなった汗血馬

 

 

色々あって関羽かんうのとこから孫権の部下が赤兎馬を盗んで逃走、関索かんさくに「アイムファーザー!」と名乗るけれどこれは見破られ、合流した張飛と一緒にこれを打ち倒し、関羽かんうの危機に駆けつけて救い出して親子は無事に再会します。そしてここから入蜀兼関索かんさくの活躍のターンとなるのですが……ここで関索かんさくの立ち位置が大体お分かりになると思います。

 

関羽かんうと黄忠の戦いの前に出てきた武将を切り殺す。(関羽かんうの立ち位置)
ホウ統が亡くなったので援軍要請の使者に。(関平の立ち位置)
諸葛亮、張飛と趙雲と関策を援軍として率いて向かう。(追加立ち位置)
厳顔と張飛の戦いの際に、別働隊として軍を率いて厳顔を破る。(別働隊の立ち位置)
諸葛亮の策で張任を張飛と包囲して破る。(厳顔の立ち位置)
張飛、張コウを倒すために関索かんさくと相談。(雷銅の立ち位置)

 

……と、三国志演義では別の人物の立ち位置が関索かんさくになって活躍する、というパターンが定番化します。とは言えここまでは余り印象には残らず、ここからが関索かんさくのオリジナル大活躍のターン!

 

 

馬が動かした中国史

 

 

曹操氏のコメントより「やっぱ虎の子は虎ってやつだわ」

苛ついている曹操

 

劉備軍が大活躍していることにお怒りの曹操、出陣。これに劉備は劉封を向かわせますが、曹操の挑発に乗せられてピンチに陥ります。しかし颯爽と出てきた(出てきた)関索かんさく、これをあっという間に倒してしまい、驚いた曹操は徐晃(じょこう)を出陣させることに。

 

 

徐晃

 

劉邦は呆気なく徐晃に敗れて逃走、しかしこれを庇って戦う関索かんさくは徐晃と互角の戦いを繰り広げました。驚いた曹操は「あれは誰だ」と聞くと「関羽かんうの子、関索かんさくです」と答えが。「なるほど、虎の子は虎であったか」と感嘆し、最終的に曹操は関索かんさくに降伏。劉備は見事漢中を手に入れ皇帝となり、関羽かんうは荊州に家族と共に移り住むのですが……訪れた劉封と関索かんさくが喧嘩したことで劉備が怒り、関索かんさくと劉封は流罪とされてしまいます。

 

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桃園の誓いの終焉と、関索の復帰(主人公補正)

策略が得意な呂蒙

 

因みに花関索伝の劉封は明確な悪役なので、孫権が呂蒙と陸遜を出陣させてピンチになった関羽かんうは劉備に援軍を要請した際に、この援軍要請を何度も途中で握り潰して邪魔をするキャラクターなのでそれ相応以上の報いを受けます。

 

関羽と周倉

 

その後、荊州は陥落、逃げ延びた周倉と関羽かんうでしたが、食糧不足に陥り身動きがとれず……そこで周倉関羽かんうに自らの肉を切り裂いて食べさせる忠臣っぷりを発揮!劉安で見た

 

 

これが死因となり周倉死亡、結局は関羽かんうもこの後死亡、かと思いきや主の武具は誰にも渡さないとばかりに赤兎馬は青龍偃月刀を咥えて入水自殺!関興に受け継がれない父上の武器

 

ブチギレる劉備

 

関羽かんうの死に怒った劉備、釘を打った鼓の中に入れられ坂から落とされ処刑される劉封!処刑方法が残酷すぎる。張飛も部下に裏切られて死亡。良かったここはそのまんまだ

 

関索かんさくはその間病気中。劉備は関索かんさくを姜維に呼ばせに行くが、関索かんさくは病によって先をも知れぬ身……ご安心下さい、突然現れた花岳先生が治してくれました。

 

 

関平

 

その後、全軍を率いて呉に出陣した関索かんさく、途中で兄・関平が戦死したりするものの冥界から現れた関羽かんうの助言で呂蒙を破り、裏切り者の糜竺、糜芳兄弟を殺して陸遜も殺害、関羽かんうと張飛の霊を祀って弔います。

 

 

関羽

 

 

英雄の退場、その衝撃の数々

君主論11(モブ)

さてここまでにもセルフ劉安周倉や赤兎馬渾身の入水自殺、劉封のとんでもねぇ処刑など衝撃の数々な退場シーンを見せてくれた花関策伝ですが、終盤ということでここからもやはり退場シーンの連続となります。その中でも更に衝撃なのが劉備、諸葛亮、花関索かんさくの退場。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

 

劉備、関羽かんうと張飛を失った悲しみから病死。ここは三国志演義を思い起こす悲しみのシーンですね。劉封をあれだけ残酷に殺しておいてここで繊細な表現をされても……。諸葛亮、仕えるべき主君である劉備を失ったことにより失意、臥龍山に入って仙人修行開始。伏龍またも臥せる……もうそれただの図体のデカい蛇では?

 

というか劉禅様はどうなったんですか。

 

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

 

関羽かんうや張飛に加えて劉備や諸葛亮といった有数の仲間たちが失われ、失意の中で病死。なんでや一回病気から復活したじゃないか!

 

ハンセン病に侵された徳行者・冉伯牛 冉伯牛(モブ)(疫病)

 

仲間がいなくなると寂しくて死んじゃうウサギだったのかもしれません。

 

こうして花関索伝、ざっくりとですが終幕となります。

 

 

色々とツッコミどころが多い花関索伝ですが、これは成立までに多くの民間伝承を取り込み過ぎ、色々と大きく齟齬が生まれてしまったからだ、とも言われています。とはいえそんな荒唐無稽さもまた花関索伝の面白さの一つ、ぜひ花関索、そして他多数の武将たちの生き様を、三国志や三国志演義と比べて見てみて下さいね!

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

因みに関索かんさくの生まれた経緯の一つに「星座の擬人化」というものがあります。この星座に索の文字が入っていたのが、いずれかの経緯で「関索かんさく」を名乗り、そして「「関」って言うなら「関羽かんう」でしょ!」と関索かんさくが生まれた、というものです。これもまた面白いお話ですね。

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

個人的な印象ですが花関索伝は中々にぶっ飛んでいて面白いと思いますので、話の種の一つとして花関索伝、この機会にどうですか?どぼーん。

 

参考:「花関索伝」

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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