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[驚き]孟達の手紙騒動:三国志の舞台が一層面白く!

2023年11月12日


孟達

 

三国時代に蜀漢しょくかん)()に仕えた孟達(もうたつ)という人物がいました。軍人でありながら、字を書くことができ、手紙を通じて武将とやり取りをしていました。代表的な孟達(もうたつ)の手紙は3通あります。背景もふまえながら、孟達の手紙を紹介していきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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さよならの手紙を送る孟達

劉璋(りゅうしょう)

 

最初に仕えていた主君は蜀漢の劉璋(りゅうしょう
)
でした。しかし、劉璋と劉備(りゅうび)との仲が険悪になると劉備は孟達を近くに置くようになります。

 

はじめてのプロ野球 関羽

 

ある日、劉備の親友・関羽(かんう)樊城(はんじょう)を包囲。

 

関羽の救援要請をシカトする劉封

 

呉の勢力が強大だったので、関羽を助けるよう孟達と劉封(りゅうほう
)
に指示します。しかし、孟達は拒否。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

呉の呂蒙(りょもう)によって軍神・関羽は殺されます。桃園の契り(とうえんのちぎり)を交わしたほどの友が殺されたため、劉備は孟達を憎むのです。

 

孟達と劉備

 

もともと孟達は漢中(かんちゅう)を攻めた際に仲間の劉封とも疎遠になっていました。そのうえ、主君の劉備からも恨みを買っては居場所がありません。「房陵(ぼうりょう)上庸(じょうよう)(領地)をお返しし、さらに辞任して自分に追放の処分を課すことにしました。」という手紙を劉備に送り、蜀漢を去ります。つまり、手紙で先手を打って寝返ったのです。これが孟達の人生を変えた最初の手紙でした。

 

 

 

戦友への手紙を送る孟達

夏侯尚

 

劉備に返還した上庸の地。魏に下った孟達は夏侯尚(かこうしょう
)
徐晃(じょこう
)
と一緒に上庸を取返します。そして、上庸の地を守っていたかつての戦友・劉封へと手紙を送るのです。

 

孟達からの手紙を開封する劉封

 

漢中(かんちゅうおう)(劉備)は心中すでに決断を下しており、あなたに疑念を抱いております。~中略~北面して君主(魏の曹丕(そうひ))に仕え、それによって国の大綱を正されれば、旧知をすてたことにはなりません。」こうして劉封を魏に寝返るよう促します。同時に、寝返らなければ劉備に殺されかねないとも助言。

 

手紙を読んでブチ切れる劉封

 

ところが孟達からの手紙を信じなかった劉封、帰国すると劉備から死ぬように命じられます。関羽救援の責任を取らされたのです。2通目の手紙が劉封の心に響くことはありませんでした。

 

 

裏切りの手紙を送る孟達

孟達が魏に寝返って歓喜する曹丕

 

孟達を手厚く保護した曹丕。やがて天に召されます。

 

曹叡

 

後継は曹叡(そうえい)でした。

 

孟達と曹丕

 

皇帝というバックボーンがなくなった孟達は、ひそかに蜀漢の諸葛亮(しょかつりょう)と連絡を取り合っていました。

理由は、いつか魏で厄介払いされると感じたためです。

 

孟達と孔明

 

魔が差した孟達を利用したのが諸葛亮です。当時、蜀漢は魏のいる北へと攻め入るプロジェクトを立て、なんとかして魏を陥れようとしていたのです。諸葛亮は孟達に魏を裏切るよう誘導します

 

しかし、優柔不断な態度をとった孟達。なかなか諸葛亮の求めに応じません。そして、諸葛亮は同じく魏の申儀という人物に孟達にスパイの恐れがあると漏らします。同じ魏にありながら、孟達とは犬猿の仲だった申儀、皇帝である曹叡に告げ口。皇帝の知るところとなります。

 

司馬懿

 

さらに孟達を怪しいとにらんでいた魏の司馬懿(しばい)は罠を張ります。クーデターを起こそうとしていた孟達の決心を手紙によってにぶらせるのです。

 

孔明

 

ほどなくクーデターを開始した孟達、きっかけは諸葛亮と司馬懿からの手紙でノイローゼになったためです。蜀と魏を結ぶ道を申儀(しんぎ)が遮断。新城郡にいた孟達は内通していた諸葛亮に手紙を送ります。

 

「司馬懿が城(新城郡)に来るには、まず言上して帝意を汲まねばならず、手続きも含めれば一ヶ月近くかかるでしょう。」ところが大軍を率いたにも関わらず司馬懿は一週間ほどで新城郡に到着。孟達は慌てて、部下からの信用を失います。さらに蜀漢からの援軍は道を封鎖されて来ることができません。

 

 

孟達を討伐する司馬懿

 

 

ほどなく孟達は司馬懿に包囲され、たったの16日で捕らわれてしまいます。歴史書によれば、司馬懿は孟達の部下をヘッドハンティングし、城門を開けさせたそうです。

 

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

手紙によって亡命し、手紙によってクーデターを起こすことになった孟達。自業自得とも言えますが、それ以上に仲間内からの信頼が得られなかったのでしょう。もし、魏で良好な関係を築いていれば、申儀が皇帝に密告することもなかったはずです。手紙を書くよりも詩人・李白のように酒を飲んで、親交を深めた方がよほどうまくいったことでしょう。

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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