おそらく劉備を中心に三国志を見ている人にとって、最大の衝撃シーンは、荊州争奪戦における関羽の死でしょう。赤壁の戦いでの勝利から、荊州の平定、益州の平定と、劉備の版図が着々と広がっていたというのに!
これから曹操に対する最終決戦が始まる!というタイミングで、まさかの!
根拠地のひとつの荊州が陥落し、名将である関羽が敗死。この後、蜀漢の趨勢はどんどん下り坂になっていきます。
もし、関羽が死ななかったら?もし、荊州が奪われていなかったら?蜀のファンであれば、何度も何度も、この問いを繰り返したことでしょう。いったいどこから歯車が狂ってしまったのでしょう?
関羽一人に荊州を任せたから?でもあの時点で、誰かを重要拠点の荊州に置いていかねばならないとすれば、実績としても勇名としても申し分のない関羽以外にいなかったはずです。
いや、本当にそうでしょうか?ここで、あえて、「関羽を活かす道は本当になかったのか?」を検討するために、大胆なイフ設定を考えてみましょう。つまり、あそこで関羽ではなく、張飛を荊州の太守に任命していたら、いったいどうなっていたのでしょうか?
張飛の荊州太守任命で劉備軍の配置は劇的に変わる!
もちろん、張飛と関羽を比較した時の一般的なイメージからすると、この役割交替にはムチャがありそうに見えるでしょう。『三国志演義』で描かれている張飛は、酒癖の悪さで油断した為に呂布に城を奪取され、最晩年も、酒癖の悪さで部下の恨みを買い、それが原因で暗殺されるという最期を遂げています。
彼の活躍といえば、数々の一騎打ちでの勝率や、長坂において百万の大軍を「一喝」して引き下がらせたなど、戦場での局地的な働きの凄さばかり。統治者としての能力は疑問符がつきそうです。
しかしこれらはあくまで『演義』でのイメージ。『正史』の張飛は、少し様子が違うのです。確かに目下のものを軽く見るところがあり粗野とは評価されているものの、占領地の統治などは積極的に任されていた模様。領土統治の経験もきちんと踏んでいるのです。
確かに、関羽のほうが安定感はありそうですが、「敢えて張飛」という判断も、『正史』のキャリアから見れば、それほど突飛ではないかもしれません。
それに、もし、張飛を荊州に赴任させたら、劉備軍の組織はどう変わるでしょう?張飛が荊州を守るということは、その代わりに、関羽が益州攻略に同軍します。そしてそのまま関羽が漢中争奪戦にも加わることでしょう。
となると、最終的な赴任地は、張飛が荊州を守り、関羽が漢中を守り、劉備は成都に収まる、という布陣になった筈です。
「関羽を荊州から外す」というネガティブな理由ではなく、「関羽を漢中の領主にするために、張飛に少し背伸びしてでも、荊州を頑張ってもらう」というならば、この抜擢も、オプションとしてはなかなか良案に見えて来ませんか?
こちらもCHECK
-
諸葛亮は天下三分の計を諦めた?荊州の関羽を見殺しにしたのはなぜ?
続きを見る
最大のポイント!張飛に荊州は守れるか?
なるほど、関羽を漢中方面の領主として使う、というのは、なかなかメリットがありそうです。しかしその場合、問題となるのは、「では張飛に荊州を守り切ることができるか」という点です。
これは、正直、なんとも言えません。しかし、関羽と比較した場合に、張飛ならばうまくいくかもしれないメリットもありそうです。
まず、史実の三国志の関羽は、良くも悪くも、劉備から荊州における軍事内政のすべてを委任されていました。あたかも一国の君主のようにすべてを仕切っていたために、独自の判断で出撃もしていましたし、孫権もこの関羽を相手に婚姻政略の誘いをかけるなど、あたかも一国の君主に対しているかのような虚々実々の駆け引きを挑んでいます。
これが張飛なら、どうだったでしょう?「荊州の守りは張飛に任ずる。ただし、決して私や孔明の指示を得ないで独自の判断はするな。頑強に荊州の守りを固め、何もするんじゃないぞ。それと、酒は控えておけよ」くらいの厳命を、劉備じきじきから言い渡されたら、どうだったでしょう。
張飛は、馬鹿正直に荊州の守りを固め、一歩も動かない状況になったのでは?そうすれば、樊城の戦いも起きなかったため、曹操軍との戦線は膠着状態のまま、何も動きはなかったでしょう。孫権軍の側からも、いかに虚々実々の外交計略を仕掛けても、張飛は馬鹿正直に一歩も反応しないので、何も仕掛けようがなかったかもしれません。
かといって力押しを試みれば、かつての長坂の戦いのように、「俺様一騎で百万の兵でも相手になってやるぞ」という凄みで立ちはだかるのですから迫力満点。能力があるゆえに、全権の自由を与えられていた関羽よりも、「益州の攻略と漢中制圧が完了するまで、荊州を一歩も動かず守り抜け!」という厳命を馬鹿正直に守るだけの張飛のほうが、意外や意外、荊州の守りには向いていたかもしれません!
こちらもCHECK
-
関羽は馬超を敵視したのではなく利用した?関羽の荊州統治と北伐戦略
続きを見る
まとめ:いちばんのメリットは関羽が生き残ること
「いやそれでも張飛で荊州を守りきるのは厳しいのでは?」と思う方もいるかもしれません。しかし、ここからは、恐ろしい考察をしますが、このシナリオにおいては、「荊州争奪戦で、関羽が死なない」こともメリットでした。
そうです。張飛が、荊州を守れなくても、劉備軍全体にはメリットが残るのです。
こちらもCHECK
-
燕人張飛と張飛が言うけれど、燕人とは?張飛は実は劉備をしっかり見ていた!
続きを見る
三国志ライターYASHIROの独り言
史実を思い返してみましょう。
荊州争奪戦に関羽が敗死した時、そのショックで酒乱になった張飛が、部下に当たり散らし、それが原因で張飛は暗殺されてしまいました。
いっぽう、荊州争奪戦で張飛が敗死したら?そのショックを受けた関羽は、オオマジメに呉への復讐のために準備をして戦線に参加するでしょう。張飛の死のショックで部下にあたりちらし恨みを買う、なんて展開はあり得ません。
つまり、関羽が早世したら、張飛も連動して早世しますが、張飛が早世しても、関羽が早世する理由はないのです。張飛が、荊州を守り切ってもよし、守り切らなくても、それはそれで劉備軍にはヨシ!
この恐るべしシナリオを是とするか非とするか!皆様はどうお考えでしょうか?
こちらもCHECK
-
張飛と関羽人気があるのはどっち?時代ごとの人気を検証
続きを見る