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三国志平話が描かない関羽の決断![曹操を見逃すシーンの真実]

2024年2月29日


関羽

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)で、赤壁の戦いからボロボロになって敗走してくる曹操(そうそう)を捕らえるために待ち伏せをしていた関羽(かんう)が、旧恩に免じて見逃してくれと曹操から懇願(こんがん)されて逃がしてしまうシーン。任務と恩義の板挟みに苦悩しながら、泣いている曹操軍の兵士たちを見て一人残らず逃がしてしまうという、関羽の情の深さが表れている美しいシーンです。三国志演義より前に刊行された「三国志平話(さんごくしへいわ)」にも関羽が曹操を取り逃がすシーンがありますが、そこには関羽の義も情も描かれておらず、ただのアクシデントのような書かれ方をしています。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義の名シーン、その伏線

曹操を見逃す関羽

 

まずは三国志演義でどう書かれているかを見てみましょう。演義の第五十回、「関雲長 義によって曹操を(はな)つ」と題された、関羽の義を強調するエピソードになっています(雲長は関羽のあざな)。曹操が赤壁の戦いに敗れるであろうと察知した劉備陣営は、曹操の退路で待ち伏せをしてあわよくば曹操を捕らえようと算段します。

 

軍師・諸葛亮(しょかつりょう)は待ち伏せの要所に趙雲(ちょううん)張飛(ちょうひ)を配し、長江の残兵狩りに糜竺(びじく)糜芳(びほう)劉封(りゅうほう)を派遣することとしましたが、劉備と義兄弟の契りを交わした重鎮の関羽には目もくれません。この大事な時にどうして自分を使ってくれないのかと関羽が諸葛亮にくってかかると、諸葛亮は口をにごします。

 

孔明

 

「実は一番大事なところを将軍にお願いしようと思っていたのですが、ちょっと差し支えがありましてね……」

 

それは何かと関羽が尋ねると、かつて関羽が曹操に降伏した時に曹操の厚遇(こうぐう)を受けているので、その時の恩を感じて曹操を見逃してしまうだろうという返事。こう言われた関羽はムキになり、曹操への恩返しはとっくに済んでいる! 決して逃がすものか!と言い、もし逃がした時は軍法によって処断されよという書面までしたためて、曹操を待ち伏せする任務をゲットしました。

 

 

 

恩義と涙に弱い三国志演義の関羽

曹操

 

百万と号していた曹操軍、赤壁の戦いに敗れ、退路も困難を極めたうえに幾度も伏兵に遭い、関羽の目の前に現われたのはわずか三百騎ほどの飢えたボロボロの将兵でした。曹操軍は関羽の伏兵が現われても逃げる様子も戦う様子もなく、ボロボロの曹操が関羽の前に馬をすすめてあいさつをします。

 

「将軍、一別以来お変わりはありませんかな」

 

関羽が倒そうと思っていたのは天下の大半を占めている乱世の奸雄・曹操であって、たった一人で近づいてこられて個人の交誼を前面に押し出してあいさつなんかされちゃうと、情の深い関羽はもう弱いです。曹操はたたみかけます。

 

「私は戦いに敗れ、もはや逃れる道はなくなりました。将軍が以前、私の恩には必ず報いると言って下さったあの言葉におすがりしたい」

 

「あ、あんたの恩義には顔良・文醜を討ち取ってとっくに報いてあるんだから!今日は命令を受けて出陣してるんだから、仲良しだって容赦(ようしゃ)しないんだからね!」

 

「春秋時代、弓の名人・子濯孺子(したくじゅし)がいた鄭国と孫弟子の庾公之斯(ゆこうしし)がいた衛国が戦争になった際、子濯は病気で弓が引けなかったので、庾公は子濯を射るに忍びず、矢じりを抜いた矢を四本放っただけで帰ったとか……」

 

春秋左氏伝好きの関羽にゆさぶりをかけながら命乞いする曹操。向かってくる相手は倒せても、命乞いしている相手は倒しづらいのが人情。そして関羽は強い者には厳しく弱い者に優しいというメンタルの持ち主。また、義理堅い性格で、かつての恩義を無下にできません。

 

任務と恩義の板挟みに悩みつつ、くるりとそっぽを向き、部下に「間隔(かんかく)を広げよ」と命じました。見た目上は陣立てを変えるだけの命令ですが、曹操のために退路を空けたのです。はっきりと逃がしてやるとは言わず、でも悩みながらも逃がしてあげちゃう関羽。曹操が通り過ぎ、その配下たちまでも逃げてゆく音を聞き、関羽は振り返って大喝したところ、曹操の部下たちは馬から下りて関羽を拝みながら声をあげて泣きました。その様子を見て、関羽は一人残らず逃がしてしまいました。

 

長いひげを蓄えた背の高い関羽が赤兎馬の手綱を控えながら微動だにせずうなだれている情景が目に浮かぶような美しいシーンです。

 

 

 

三国志平話は無味乾燥

関羽と赤兎馬

 

この待ち伏せのシーン、三国志平話では何の面白みもありません。関羽が待ち伏せをしているところに曹操軍が到達し、曹操は命乞いします。

 

「かつて寿亭侯どの(関羽)に与えた恩を思い出して下さい」

 

関羽はすげなくこう言います。「軍師の厳命がございますので」そこで曹操が関羽の陣に攻撃をしかけると、砂ぼこりがあがり、曹操はそれに紛れて逃れることができました。関羽は何里か追いかけた後、あきらめて帰りました。……これだと、ふつうに会戦して取り逃がしただけですね。関羽の義とか優しさとかの描写はゼロです。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

三国志平話では、劉備・関羽・張飛の三兄弟のうち一番目立っているのがスカッと爽快な暴れん坊キャラの張飛、二番目が親分肌の劉備で、関羽にはあまり活躍の場がありません。(「五関に六将を斬る」のシーンもありません!)大衆向けの娯楽だった三国志平話では、関羽の義理がたいキャラは地味で分かりづらいため放置されていたのでしょう。

 

三国志演義は「義を演ずる」と言うだけあって義の人・関羽に大いに注目しており、平話でほとんど存在感のなかった待ち伏せのシーンに大幅な脚色を加え、強くて優しくて美しい関羽像を作り上げております。このシーンについては、三国志演義のほうに軍配を上げたいです。

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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