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三国志時代のダジャレ!?王平の異名[ヘイ!!OH様]の謎

2024年10月13日


 

 

王平(おうへい)。文字は数10字程度しか知りませんが戦になれば巧みな指揮能力を有しており、諸葛孔明(しょかつこうめい)の北伐戦や蜀へ侵攻してきた魏軍を撃退するなど、数々の功績を挙げている蜀の将軍です。そんな王平ですが、もしかしたら益州に定住していた異民族・板楯蛮(ばんじゅんばん)との間に生まれた混血児だったかもしれません。そのため部下の異民族達から「ヘイ!!OH様」と言われていたかもしれません。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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益州に住んでいた板楯蛮とは!?

 

三国志の蜀。劉備が建国することになった国ですが、蜀には数多くの異民族が住んでおり、孔明の北伐戦にも登場していた羌族(きょうぞく)、七たび放たれた孟獲(もうかく)で有名な南蛮族(なんばんぞく)などの異民族が、はじめての三国志の読者のみなさまにも知名度が高い異民族と言えるでしょう。

 

しかし益州にはこれらの異民族の他にも、益州北部の巴(は)郡を中心に住んでいた板楯蛮と言われる異民族がおりました。板楯蛮と名付けられた由来は「板製の盾をもって戦う異民族」だったことからその名を付けられたそうです。さてこの板楯蛮ですがいくつかの伝説を持っている異民族でした。

 

 

秦の時代に白虎を討った事で有名に・・・・・。

始皇帝

 

 

春秋戦国時代を知ることのできる今一番勢いのある漫画・キングダムで、すっかり有名になった中国の初代統一帝国を築き上げた秦(しん)。秦はキングダムに登場する秦・政が分裂していた中国を統一したことによって、生まれる統一帝国です。

 

昭襄王

 

政が生まれる少し前から秦の国力は増大していくことになり、政の天下統一事業の端緒を気づいていくことになった秦の昭襄王(しょうじょうおう)の時代。秦の領土に一頭の白い虎がおりました。この白虎は多くの虎を引き連れて町や村に出没して農作物を奪ったり、人間を食い殺したりしておりました。

 

昭襄王はこの白虎を狩るために莫大な懸賞金をかけることにします。白虎討伐の話を知った板楯蛮の廖仲(りょうちゅう)という人物は、竹で作った弩をもって白虎を探して討伐することに成功。昭襄王は白虎が討伐されたことを知って大いに喜び、白虎討伐者である廖仲に領地を与えようとしますが、廖仲が板楯蛮だったため領土を与えることをやめてしまいます。しかし昭襄王は秦と板楯蛮が互いに侵略しない不可侵条約を結ぶことにします。こうして昭襄王の時代以降板楯蛮は秦の国から討伐されることなく、生き延びていくことになります。

 

 

 

項羽と劉邦の楚漢戦争にも登場

 

時は移り、漢帝国を建国した初代皇帝劉邦(りゅうほう)。劉邦は最大のライバルであった項羽(こうう)を討ち滅ぼして、漢帝国を建国することになりますが、まだ劉邦が項羽の部下であった時代。劉邦は秦の帝国を討ち滅ぼした功績によって漢中王に命じられ蜀へ領土を与えられます。

 

劉邦は漢中王に就任した後、項羽を討ち滅ぼすべく中原へ向かって北進していくことになりますが、この時に益州の北方にある巴に住んでいた板楯蛮も劉邦の北伐戦に参加。板楯蛮は秦の名将として名高い章邯(しょうかん)討伐戦で大活躍した後、項羽との戦でも数多くの戦功を上げていきます。

 

その後劉邦が項羽を倒すことに成功すると益州へ帰還していくのですが、劉邦は自分に協力してくれた板楯蛮達に租税を免除する命令を布令。板楯蛮達は劉邦から与えられた租税免除を誇りにして、前漢時代を生き抜いていきます。

 

 

後漢王朝時代には不満が爆発!!

 

春秋戦国・前漢時代に活躍していた板楯蛮ですが、後漢時代にも反乱を起こした羌族討伐戦などで活躍。だが後漢王朝は板楯蛮を優遇するのではなく、重い重税を課していくことに。重税を課せられた板楯蛮は生活が苦しくなっていきます。そして板楯蛮は後漢王朝に対して大反乱を起こすことになるのです。一時的に後漢王朝に降伏して反乱は静まるのですが、黄巾賊が反乱を起こした際再び益州で反乱を起こしてしまうのです。そんな中、一人の人物が板楯蛮の有力者達と一緒に曹操(そうそう)へ降伏。その人物こそ今回の主人公である王平でした。

 

 

板楯蛮の頭の息子だった!?

 

王平の出身地は益州巴郡(はぐん)宕渠(とうきょ)県出身の人物です。ひとつこの記事を読んでいる方は気づくことがあるのではないのでしょうか。そうです。王平は上記で紹介した板楯蛮が住んでいた土地出身だったのです。

 

 

曹操は漢中に割拠していた五斗米道(ごとべいどう)の当主であった張魯(ちょうろ)を降伏。曹操が張魯を降伏させた時板楯蛮の有力者達は曹操へ降伏することを決め、曹操が駐在していた洛陽(らくよう)へ行くことにします。王平もこの時彼らと一緒に洛陽へ行って曹操に降伏すること旨を伝えると校尉(こうい)の役職をもらう事になります。

 

さて上記から考えると王平は板楯蛮の有力者の息子であったのではないのでしょうか。王平が板楯蛮の有力者の息子であることをあらわすエピソードが、正史三国志蜀書・王平伝に記されております。蜀書王平伝によると「王平は軍隊で成長したため、文字がほとんどかけなかった。知っている文字も数10字しか知らなかった。」と記されております。

 

群雄たちが争っていた中原や河北一帯でなら少年が軍隊で成長を遂げる可能性もあったかもしれません。しかし王平が生まれた益州(えきしゅう)には多くの群雄達が存在することはなく、益州の主は劉焉(りゅうえん)劉璋(りゅうしょう)の親子二代が統治しておりました。いくら劉焉・劉璋親子の政治が苛烈で漢人の民衆や異民族に対して、重税を課していたとしても軍隊のなかで少年が成長する可能性なんて、ほとんどないようにレンは考えます。なぜならば益州で大規模な戦が続いていないからです。

 

それではなぜ王平が軍隊の中で成長したと正史三国志・蜀書の王平列伝に記されているのか。それは王平が板楯蛮出身であったとすれば、王平伝の記述にも納得がいくのではないのでしょうか。漢人の家庭環境と異民族である板楯蛮との生活模様は大いに違っており、漢人の知識層であれ5歳~7歳までの間には必ず教育を受けるはずです。

 

ローランド風 鍾会

 

一例として蜀討伐軍の司令官・魏の鍾会(しょうかい)も少年の頃から様々な勉学を行っておりました。他の三国志の知識階層出身の武将達にも当てはまることであり、筵織りであった劉備ですら盧植(ろしゅく)の元で勉学を行っていたそうです。上記の一例から考えて三国志の時代で将軍や文官として活躍した人物の多くは、教育を受けております。このことから王平が漢人文化の生活環境で少年期を育ったのではなく、異民族の中で少年期を過ごしていたのであれば、蜀書王平伝に記載されている軍隊の中で育ったと記載されていてもおかしくないでしょう。上記が事実であれば、王平が板楯蛮と漢人との混血児であった可能性が高いのではないのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

他にも色々と王平が板楯蛮の有力者の息子である証左がありますが、一例として王平の性格面についてあげてみたいと思います。正史三国志・蜀書王平伝には王平の性格を「偏狭な性格で疑い深く、軽はずみなところがあるのが欠点だった」と記されております。

 

王平が板楯蛮出身であったことから他の漢人出身の武将達を妬んでいたと考えるならば、王平伝の記載にも得心することができるのではないのでしょうか。もし異民族の有力者の息子であれば部下の異民族達から本当に「ヘイOH様」と呼ばれていたかもしれないですね。

 

参考 新人物文庫 もうひとつの「三国志」異民族との戦い 坂口和澄著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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