『三国志』といえば、曹操・劉備・孫権という三人の英雄が覇を競った物語です。しかし、初めて三国志の歴史を知った人が驚くことの一つに、「彼らの誰も天下統一を果たせなかった」という事実があります。
最終的に三国を統一するのは、彼らとは血縁上まったく関係のない司馬炎という人物でした。
魏を率いていたのは、天才的な英傑・曹操です。しかし、曹操が亡くなった後、魏の国権は司馬懿のクーデターによって弱体化し、最終的には司馬懿の一族に乗っ取られ、司馬懿の子孫である司馬炎によって三国時代は終わりを告げるのです。
この記事の目次
曹一族が司馬懿の権力増長を防ぐチャンスはあったのか?
曹操のファンでなくとも、この結末にはどこか寂しさを感じるのではないでしょうか?
別に劉備や孫権の一族でなくてもよいので、せめて曹操の血筋が天下を統一し、三国志の物語を大団円にしてほしかった。そんな思いを抱く人は少なくないでしょう。
史実で司馬懿に敗れ去った曹一族。彼らが、司馬懿、およびその一族の台頭を防ぐチャンスは、どこにあったのでしょうか?
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カギを握っていたのは三代目の曹叡!もし彼が長生きしていたら?
ここで、歴史を振り返ってみましょう。司馬懿が魏の中で強大な権力を握るきっかけとなったのは、諸葛亮の北伐を防いだことでした。
このとき、魏の防衛の指揮を執っていたのは、曹一族の曹真でした。
しかし、実際の戦いでは司馬懿の活躍が目立ち、最終的には諸葛亮が病死し、魏の防衛が成功したことで、司馬懿こそが魏の実力者として認められるようになります。
本来ならば、諸葛亮の北伐を誰が防いだかにかかわらず、魏の皇帝とその取り巻きがしっかりしていれば、司馬懿が台頭することはなかったはずです。
ところが、このとき魏の皇帝だったのは、わずか8歳の曹芳でした。彼は急逝した曹叡の後を継いだため、幼すぎて司馬懿の増長を防ぐどころではなかったのです。曹操から数えて三代目の君主であり、聡明だった曹叡が、わずか32歳で急逝し、その後継者が幼帝になってしまったこと。
そしてその危機的な状況で、蜀の諸葛亮孔明の攻撃を、みごとに防いだ司馬懿が、名声を馳せてしまったこと。これこそが、曹一族の凋落の決定的な要因といえます。
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もし曹叡があと10年長生きしていたら?司馬懿を抑え込む「チーム曹叡」ここに結成!
こう考えると、曹一族が司馬懿の台頭を防ぎ、魏の天下を安泰にするイフシナリオの分岐点は非常にシンプルです。つまり、曹叡が急逝しなければよいのです!
たとえば、もし曹叡の寿命があと10年延びたら?魏の権力闘争の歴史は、どのように変わったでしょうか?
曹叡は、あまりに若くして没してしまうために活躍の時期が少ないものの、どうやら聡明な君主だったようですし、そもそも司馬懿をあまり重用していませんでした。
この曹叡がもし、あと10年長生きしていたら?この世界線で、曹叡が頼ったであろう人材を見てみましょう。
まず、政治面では満寵がいます。史実でも司馬懿とたびたび対立した人物で、法律の起案能力など優れた才能を持っていました。曹叡の右腕として彼が活躍していれば、魏の内政や立法は安泰だったでしょう。軍事面では、曹真が引き続き重要な役割を果たします。史実では司馬懿の陰に隠れがちでしたが、司令官としての実力は十分でした。
さらに、夏侯淵の一族である夏侯玄、そして諸葛亮の親戚である諸葛誕なども挙げられます。これらの人物は、史実では司馬懿やその息子たちの前に活躍の機会を失いましたが、曹叡のもとでなら、力を発揮する可能性は十分にあります。
満寵、曹真、夏侯玄、諸葛誕!こうした人材が集結すれば、なかなか強力な「チーム曹叡」となったのではないでしょうか?
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「チーム曹叡」の秘策は、北伐防衛戦に司馬懿を参加させないこと!
しかし、このメンバーが揃っても、まだ不安を感じる方もいるかもしれません。「たとえ曹叡があと10年長生きしても、結局は司馬懿が諸葛亮のライバルとして名を馳せてしまえば、曹叡の死後、やはり司馬一族の時代が来るのでは?」
そこで、「チーム曹叡」はこう考えます。諸葛亮はたしかに強敵です。曹真と司馬懿がともに出陣すれば、司馬懿が功績を挙げ、名声を高めてしまいます。ならば、そもそも司馬懿を北伐対策に出撃させない!と考えれば、どうでしょう?
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まとめ:司馬懿の代わりに諸葛誕が北伐防衛戦線に爆誕!夢の「諸葛一族対決」が実現?
では、司馬懿の代わりに、曹真とともに諸葛亮と戦う人物は誰がよいでしょうか?そこで登場するのが、諸葛誕です!
これは現代でいう「マスコミ受け」作戦のようなものです。「蜀の諸葛亮に対抗するのは、魏の諸葛誕!この人こそ、ふさわしいだろう!」と曹叡がおおいに宣伝した上で、諸葛誕を北伐防衛に送り込めば?
この対決が実現すれば、魏の将軍たちはもちろん、民衆までもが大いに盛り上がるでしょう。こうなれば、司馬懿も割り込む余地がありません。悔しそうに歯ぎしりしながら、静かにこの戦いを見守ることになるでしょう。
しかし、こうなった以上、諸葛誕にはぜひとも諸葛亮と名勝負を繰り広げてもらう必要があります。勝つ必要はありません。引き分けでもよいのです。
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三国志ライターYASHIROの独り言
重要なのは、「諸葛誕が諸葛亮と互角の勝負をした!」という評価を得ることです。もしこのような評判を諸葛誕が確立してしまえば、10年寿命が延びた曹叡がけっきょく没した後も、司馬懿ではなく諸葛誕こそが魏の名士となっており、その諸葛誕が18歳で即位した曹芳を支える存在として、司馬懿を抑え込むことでしょう。
史実ではあまり活躍できなかった諸葛誕ですが、果たして諸葛亮と名勝負を繰り広げられるのか?そこに三国志の新たな未来がかかっています。と、いう、イフ展開を用意してみたので、ぜひ、がんばってほしいです!この世界線の諸葛誕!
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