さて今回は呉の猛将の中の猛将、名将の中の名将の一人として名高い、太史慈のお話をば。ここで皆さんもお思いのことでしょう。
「太史慈……孫策とのお話かな?」
「張遼と戦った武将だ!強いよね?」
「太鼓叩いていた人!」
そんな星の煌めきの如く数え切れないエピソードが……余りない?
そこで今回は新しい太史慈の「キャラクター」を妄想して見たいと思います!
※多大なる妄想成分を含みますのでご注意下さい。
孫策との友誼
多くの人が知っているエピソード、それは太史慈と孫策との友誼エピソードではないでしょうか。太史慈がまだ劉繇配下であった頃、孫策との一騎打ち。そこから生まれる友情。
太史慈を信頼して、逃がす孫策。その信頼に応え、ちゃんと配下をまとめて戻った太史慈。二人ともサイコーだな!(結論)このエピソードが太史慈の主なイメージであり、多くの人は「太史慈は友情と義に篤い武将」という印象を持っているのではないでしょうか。
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三国志演義の太史慈
もう一つ、太史慈の印象深い……こちらは三国志演義ですが、場面を一つ。それは孫策亡き後の孫呉でのこと。孫策との付き合いは短くも、太史慈はその後は孫権を支えて呉の国を支える武将の一人となりました。
その前に立ち塞がるは魏の張遼、魏の張遼でございます。何と太史慈はこの張遼と一騎打ちで引き分けるという大活躍を見せるも、その後は張遼の策略により矢を受けてしまいます。
「かかったな、太史慈!(いい声)」
この傷が致命傷となり、太史慈は三国志演義の舞台から退場してしまうのでした。
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義に篤い猛将・太史慈
さて、これらの太史慈の場面を並べてみてみると、太史慈は主に
「義に篤い」
「武勇に優れている」
この二つの印象を受けると思います。
まずは孫策との約束を守ったその姿、そして三国志演義の演出も加えると、その孫策亡き後も呉を支える人物……太史慈の深い「義」を印象付けていますね。
そして孫策、張遼というハイパーつよつよ武将二人と引き分けている、これはもう間違いなく武勇に優れている「猛将」と言って差し支えないでしょう!
しかしこれだけでは魑魅魍魎張遼跋扈(誤字)している三国志沼では生き残れない……そこで太史慈に新しいキャラクターを付与してみたい、というのが今回のテーマです!そこで知って貰いたいのが、太史慈のもう一つの一面です。
弁舌に長け、他者への巧みな交渉
正史によると、太史慈は元は役所の文官であった御様子。つまり実はインテリジェンスに満ち溢れていたメガネ(※ありません)がクールなイケメンであった可能性もある訳です。
ここだけでも太史慈の新たなキャラ付けには良いですが、更にもう一歩!この際、太史慈は訴訟問題で「相手を言いくるめて、相手の上奏文を入手」しています。つまりただ義に篤いだけでなく、時として相手を騙す弁才、知略巡らすダークなネゴシエーターな太史慈の一面も秘めている武将なのです!
うーん、一気に太史慈のキャラクターが深く……いや、何か回転してきたような気がしますね……。
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太史慈の野心溢れる最期の一面
さてもう一つのエピソード。こちらはそもそも裴松之先生の注釈なのではありますが、面白ければそれで良いの精神を見習うべきでしょう。それは太史慈、その生涯の幕引きの際のこと。
太史慈はその命尽きる瞬間、血を吐くかのような想いで叫びました。「男たるもの、剣を持って皇帝への道を進むべきであったのに!その志も叶わぬまま終わってしまうというのか!」人がもし、その本性を、隠れた面を覗かせるのが最期の時であったならば。太史慈のこの言葉は、ただ忠義のみに非ず、深い野心を内包していた。そんな一面が覗かせられるのではないかと思います。
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イメージが反転する太史慈
以上は正史による(注含む)エピソードではありますが、太史慈を物語などで紹介される上では殆ど触れられていないエピソードです。その理由に「孫策とのエピソードが強すぎる(そこがメイン)」というものと同時に、このエピソードと反する印象が太史慈に生まれて、キャラクターが一貫しない、というのもあるでしょう。
下手をすると呉のキャラクターは省かれやすいことも多く、そういう意味でもこれらのエピソードは太史慈のキャラクターに採用されない、という理由があると思います。しかし、これらの一面は両立しないか、とも考えてみました。
覇王再び
そう、嘗て太史慈はそれこそいずれ天下を統べてみたい、そんな男子たるものもしかしたら女子でも必ず一度は思う野心を持っていた。そのために武勇だけでなく知略、弁才も磨きをかけるも、その才は認められず不遇の日々を過ごす。そしてその才能を見抜いたのは、小覇王。一度はその小覇王の威圧から逃れるべく、口先の魔術で逃れた太史慈であったが……
本当にこのままで良いのだろうか?果たしてあの男に背を向けたまで、良かったのだろうか?そうして再び自分は、何かに向けて戦うことができるのか。
太史慈は孫策の下に戻る。降ったのではなく、真正面からその覇気に受け応えた。だがその小覇王はもうおらず、あの英雄のような男が、もう一度現れないかと願いながら。その夢は決して叶わぬまま、最期の最期に猛将は血を吐いた。
「ああ」
「現れぬと思ったのならば、自分こそが新たな覇王となるべきであったのに」
三国志ライター センのひとりごと
最期のはもうただの筆者の妄想タイムですが。そういう最期まで戦いを求める、そんな太史慈もまた良いのではないかと思います。どうにも太史慈、義に篤い、それにしては何か野心を覗かせる、印象があちらこちらに飛ぶ武将ではないでしょうか。それに関して違和感を覚えつつも、もしかしたら両立できるのでは?
そう思ったのが今回の妄想でした。お付き合い頂きありがとうございました。どぼーん!
参考:呉書太史慈伝
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