「燕人張飛!ここにあり!」とい言葉は三国志に通じる皆様ならば良くお馴染みのことでしょう。
有名な長坂の戦いで、曹操の大軍を相手に張飛が啖呵を切る有名なシーンですね。この「燕人張飛」の名乗りは、色々な三国志関連の書籍やゲームなどでも見かけることができ、張飛の有名な名乗りセリフの一つ、と言えるかもしれません。そこで皆さんに聞いてみたいのですが、
「燕人張飛と張飛が言うけれど、燕人とは?」
今回は意外と知られていないこの部分の、お話をしたいと思います。
この記事の目次
※ここに書いてあることは120%高濃度の三国志ジョークです※
まず燕人という意味ですが、読んで字のごとく、燕……つばめという意味です。
燕という生き物は通常時の飛行速度は、鳥の中でもそこまで突出したものではないのですが、瞬間的な速度に優れており、得物を捕獲する時、天敵から逃げる時の飛行速度は時速200kとも言われるほど。つまり燕というのは素早いそんな動物の例えに使われます。
それを名乗りに使う張飛もまた勇猛果敢であり、その武器捌きは正に飛ぶが如くの太刀筋。「飛」という名からも分かるように、張飛の戦闘能力の高さ、武勇の凄まじさを称える意味で「燕人」という呼び名が名乗りとして使われているのですね。
そんな張飛の凄さにあやかり、後の世でも幾人もの武将が「燕人」を名乗った、とも言われています。……と、ここまでは三国志ジョークですので一切合切お忘れ下さい!
「燕」は「つばめに非ず」、張飛の「燕人」の理由
まあ燕の件は全て噓ではありませんが、燕人というのは「つばめ」のことではなく、出身地のことを表しています。つまりこの「燕人張飛」というのは「燕出身の張飛様だ!」という意味になりますね。
三国時代は群雄割拠の時代でもありますから、自分の名前やルーツは積極的に名乗っていくことで手柄を立て、注目を浴びる……つまり張飛のアピール方法だったという訳です。
尚、張飛の出身地は幽州涿郡涿県とされ、これは実は劉備と同じです。言いようによっては劉備も燕人劉備!となることもあったのでしょうか……なんかちょっと字面に馴染みなくて似合いませんね。
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燕が盛況であった戦国時代、そして覇者となる秦の存在
中国の歴史、春秋戦国時代と呼ばれる時代がありました。前半を春秋時代、後半を戦国時代と分けて呼ぶこともありますが、この時代でも数々の国家が存在していました。その中でも小さな国家は段々と統合されていき、最終的に
という七国が残ります。この七国を「戦国の七雄」と呼びます。この燕の国こそ、張飛が名乗っている国で、東北の方の国になります。そして後に劉備が蜀とする国、そこに秦の国がありました。
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秦の拡大と、脅威を感じる燕
後に秦の始皇帝と呼ばれる存在が生まれる秦は、どんどんと領土を拡大していきます。しかし当初、燕は秦とは敵対してはいませんでした。西方の秦と東北の燕の間には別の国があり、逆に手を組むこともあったようです。
ですが両国の間にあった「趙」の国が晋によって滅ぼされたことで、秦と燕は直接敵対していくことになります。その敵対した理由に、一人の「燕人」の存在があったとも言われます。
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秦との戦いを確信する燕人、燕太子丹
燕太子丹という燕の王族、言い方を変えると燕人がおりました。彼は幼い頃に、趙へと人質に送られます。そこで同じく、人質として送られてきていた秦の王族の子と仲良くなりました。後に彼らは二人とも国に返され、其々、相応しい地位に付くことになります。
そして成長した太子丹はある時、施設として秦に行き、人質仲間と再会を果たしました。しかし彼の……秦王政の対応は冷たく、このことからいずれ秦は燕にとって害となると判断し、趙が秦に滅ぼされてからはそれは確信となります。
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燕太子丹が送り込んだのが、かの有名なアサシン・荊軻
とは言っても、まともに戦っては燕は秦には勝てない。そうなると取るべき道は一つ、暗殺です。
燕太子丹は秦王政を暗殺することにしますが、ここで送りこまれた暗殺者が化のう有名な、荊軻です。
しかし荊軻の暗殺は失敗し、その背後に燕太子丹がいることは露見し、激怒した秦王政によって荊軻は死して尚も切り刻まれ、燕の国もまた滅ぼされてしまうのでした。
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燕人と漢の末裔と、二人のアピール
そうして燕を滅ぼした秦、その秦もいずれは漢の時代に取って代わられました。そしてその漢を開いたのが劉邦であり、劉備はその末裔です。
劉備が本当に劉邦の末裔であるのかはやや疑問の残る所でもありますが、そうだとしても、劉の性と時代を乗りこなしていくための、非常に合理的なアピールであると思います。
そう思うと「燕人」という張飛のアピールもまた、義兄である劉備に倣い、何かしらアピールしていこうと思ってのことだったのでしょうか?何となく義兄の真似をして見た張飛、というのも何だか可愛らしいので、それはそれで面白いと思いますね。
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三国志ライター センのひとりごと
何気に張飛は娘を二人とも劉備の子、劉禅に嫁がせていたりするなど、政治面で強かさを見せているというか、キラリと光る有能さを感じなくもないでしょうか。また身分が上の人物や知識人には弱い所もあり、そういう面はある種、世渡りのテクニックも見える気もします。
そして世を渡るテクニックと言えばやはり劉備の兄者……とすると、張飛は中々劉備を見ていたのかな、と考えてしまいました。そしてそういうなら、どちらかというと関羽もそうしていたら……なんて、ふと思う筆者でした。どぼーん。
参考:蜀書張飛伝 史記
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