統計学に「平均化の法則」というものがあります。平均より優れたグループがいたとしても、時間が経つと「足をひっぱる」メンバーが出現して、グループ全体の成績をけっきょく平均に戻していっちゃうというもの。
これが家系のこととなると、遺伝子の問題もあるので単純ではないですが、
「同じ一族から優秀な人材がずっと出続ける」というわけには、やはり、いかないみたい。
三国志にも、いろいろ事例があります。劉さんのところとか。曹さんのところとか。
そして今回のお話、夏侯さんのところとか。
この記事の目次
いかんせん名前が凄すぎた?夏侯覇
夏侯覇のことをダメな人材だと決めつけているつもりはありません。でも、いかんせん名前が凄すぎちゃって、どうしても「夏侯は夏侯でもさえないほうの夏侯」と思ってしまう。
私が十代の頃に、はじめて三国志を読んだ時、この人物が魏を裏切って蜀についた時はめちゃくちゃ高い期待をしてしまったものですよ。
なにせ「夏侯覇」ですからね。
かの夏侯惇・夏侯淵を繰り出してきた「夏侯一族」の一人にして、しかも名前が「覇」ですからね。キラキラネームとは言いませんが、親の期待がビリビリ込められているのを感じちゃいますね。
「やがては蜀からも独立し、魏呉蜀のどこにも属さない第四勢力を作って、孔明の死後すっかり退屈になってきている物語(!)を活性化してくれるくらいのオオモノではないか」くらいの壮大な期待をしたものです!
ですが・・・人々の記憶に残る夏侯覇の印象といえば、
「夏侯の姓を持つキャラなのに、蜀に加わった紛らわしい人」という一点であって、
「そのあと、何をやったんだっけ?」となると、そこからみんな、首をひねりだす。
夏侯覇の蜀への寝返り経緯もどこか「受け身」な件
まずは彼が魏を裏切った経緯のおさらいをしないといけませんね。
『三国志演義』を典拠に使って、思い出していきましょう。
きっかけとなったのは、またしてもあのハイスペック爺さん、司馬懿です。曹操も劉備も孔明もいない時代となった途端、
「いつのまにかワシがナンバーワンじゃね?」と気づいてしまい、そこから怒涛の「司馬懿無双」が始まります。
自分の一族を出世させるための、粛清につぐ粛清、陰謀につぐ陰謀。曹操が興した魏の国なのに、「曹」とか「夏侯」とかいった姓を持つキャラクターには、すべからく「誅殺」フラグが立ってくる危険な状況。その中でも夏侯覇は、アンチ司馬一族の人たちから、「この状況に負けず何かやってくれるのでは?」と期待もされている星だったようです。
きっかけは、夏侯覇にとっては甥っ子にあたる夏侯玄(=夏侯覇よりももっと目立たない夏侯姓の人)が司馬懿に召喚されたこと。
「甥っ子が呼び出されたってことは、ついに夏侯家が粛清対象になったんじゃね?」
と思いこんだ夏侯覇は、赴任先の雍州で突然挙兵します。
すかさず郭淮が追討軍を引き連れてやってきます。郭淮の巧みな陽動作戦で、夏侯覇の兵はたちまち潰滅。挙兵して間もないうちに、ひとりぼっちになってしまいました。おおむね、司馬懿の思惑どおりに踊らされているだけでは・・・というツッコミが読者の心に芽生えてくる瞬間です。
どうにもならなくなった彼は、秘策に出ます。一族にとっての宿敵であったはずの、蜀への投降です。もっとも、よく考えると、部下の兵隊を秒殺されて、ひとりトボトボと亡命してきたわけで、どこか受け身という気がしてならないですが・・・。
自分で自分にフラグを立てていく律義な夏侯覇
ところが夏侯覇にもラッキーがありました。投降した先が姜維の部隊だったということ。
とにかくウラオモテがない性格の姜維が、
「夏侯覇が来てくれた」とめちゃくちゃスナオに喜んでくれたので、夏侯覇も安心し、いきなり胸襟を開きます。姜維とウマがあったのか、魏の内情をぜんぶバラしてくれる夏侯覇。
その対話の中で、鄧艾と鍾会の名前を姜維に紹介する(=読者にも紹介する)という、危険なフラグの立つ役回りを、嬉々として演じます。
「今の魏の新世代には、鄧艾と鍾会という油断のならないニューホープが出てきているぞ」と。
これは読者としては、
「え? このセリフを言っているということは、
こいつ、いずれその鄧艾と鍾会に殺されるパターンじゃない?」
と予想せざるを得ない。
しかもそこで肝心の姜維まで、
「なあに、私と夏侯覇殿が手を組めば、そんな若造どもなど敵ではありますまい」と、ますます夏侯覇にフラグを立てちゃってます。
さっそく姜維は、成都に北伐の許可を申請します。
「夏侯覇が裏切って、こちらについてくれた今こそ、悲願の北伐を完成させるチャンスだから、援軍をくれ」
その時代、成都で権力を握っているのは内治優先派の費禕。
「夏侯覇」という名前のインパクトに惑わされることなく、
「そのひと、能力的に未知数だけど、だいじょうぶなの?」と冷静な確認を入れます。
「だいじょうぶだよ!」と楽天的な姜維。
「それじゃ、やってみるかい?」とばかりに、費禕も少し折れたところ、姜維軍は惨敗、夏侯覇は計略にかけられて矢の雨を浴びせられ、あえない最期を遂げるのです。
夏侯覇を打ち取ったのは、魏のニューホープ、鄧艾。ああ、やっぱり、、、!
まとめ:けっきょく夏侯覇の能力は未知数のまま
結果としては、費禕の懸念のほうが正しかった、となってしまいました。費禕のボヤきも聞こえてきますね。
「姜維と夏侯覇が、また夢みたいなことを言って、兵力を割いて持って行っちゃったよ。魏出身のあの二人がナカヨシになっちゃってからというものロクなことがない。いつもツルんで、何をやってんだか。ホウレンソウもないんで、成都からさっぱり見えないや」
でもこういう意思疎通の悪さって、組織が弱くなっていくパターンの典型ですよね・・・。
三国志ライター YASHIROの独り言
それにしても夏侯覇はけっきょくどれくらいの能力の人だったのかとなると、なんか、けっきょく、よくわからない人だったと言うしか・・・。
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