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[三国志の疑問]徐晃、実は伝説の将軍?

2023年11月21日


徐晃

 

魏の五大将軍の一人に名を連ねている徐晃(じょこう)。この五人の将軍の中には合肥の戦いで大活躍して三国志の歴史の中で大活躍した張遼(ちょうりょう)が入っています。

 

張コウ 張郃

 

他にも蜀の将軍達や孔明(こうめい)からも恐れられた張郃(ちょうこう)曹操(そうそう)から信頼され、戦では先鋒を命じられ、撤退する時には一番難しい殿を任せられた于禁(うきん) 、果断な戦をして合肥の戦では張遼と共に活躍した楽進(がくしん)

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

彼ら四人は魏の将軍の中でも名将と呼ばれる部類に入る人達ですが、徐晃は彼ら四人と同じように名将と呼ばれる将軍だったのでしょうか??

 

三国志ライター黒田レン

 

結論から言いますとレンは徐晃が上記の四人と同じくらいの名将といえる存在だったと思います。ではどうしてそのように思えるのか。徐晃が名将足りえる理由を説明していきたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐晃が名将な理由その1:地味だけど重要な働きをしている

徐晃と許褚

 

徐晃は曹操に仕えると数々の戦に参加し、ほとんどの戦で活躍をしています

 

呂布のラストウォー 呂布

 

例えば呂布討伐戦では徐晃は主力決戦に参加していませんでしたが、別働隊を率いて呂布(りょふ)軍の将軍を二人も討ち取っています。

 

食糧庫を焼かれて慌てる袁紹軍

 

また徐晃は官渡の戦いの時にも主力決戦に参加していませんが、袁紹(えんしょう)軍の輸送車を襲って武器や兵糧などを強奪しています。

 

劉備

 

他にも漢中防衛戦で徐晃は漢中の要衝・馬鳴閣街道を劉備(りゅうび)軍から奪い返すことに成功し、劉備軍の作戦をくじくことにも活躍しています。

 

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このように徐晃の活躍は地味ですけど、戦においてかなり重要な活躍を何度もしている点をもって彼が名将と呼ぶことができるのではないのでしょうか。

 

 

 

徐晃が名将な理由その2:故事が残っている所

徐晃と夏侯淵

 

名将と呼ばれる人には必ずその名将に由来のある故事が残っていることが多くあります

 

張遼の猛攻に泣きながら逃げる孫権

 

例えば張遼は合肥でのすさまじい活躍によって「遼来来」と呼ばれる故事が残されることになります。では徐晃にも彼に由来する故事が残っているのでしょうか。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

徐晃が由来となった故事も存在していること判明しました。日本では長躯と呼ばれる言葉ですが、元々は徐晃が関羽(かんう)を打ち破った時にできた故事が由来となっており「長躯直入」と呼ばれる故事です。この言葉の意味は遠い地点から一気に敵陣へ入り込み、敵陣を陥落させる意味がありますがどのようにしてできたのでしょうか。

 

曹仁

 

徐晃は関羽が曹仁(そうじん)が篭城している樊城を救援するため、援軍を率いて陽陵陂 へ到着。しかし徐晃の幕僚の一人、趙儼(ちょうげん)

「関羽の兵力は多いので、もっと援軍が到着してから進むべきだ。

 

 

樊城の戦い

 

今は樊城と連絡を取るのが大事である」とアドバイス。徐晃は 趙儼のアドバイスを聞いて更なる援軍到着を待つと同時に城内と連絡を取り援軍が到着したことを報告させるのでした。

 

 

馬に乗って戦う徐晃

 

その後徐晃は、樊城を救援する援軍と合流し偃城を奪還し陣形を大きく広げながら関羽の陣近くに近づいていきます。徐晃は関羽の陣営近くに到着するまでに再度援軍を迎えいれ、兵力が大きくなった所で、囲頭に駐屯している関羽軍を攻撃すると関羽軍にもわかるように攻撃する態勢を見せます。

 

 

関羽

 

しかし徐晃が実際に攻撃したのは関羽軍が駐屯している別の陣営地である四冢と呼ばれる場所でした。徐晃はすさまじい攻撃を仕掛け、関羽自ら率いてきた援軍を蹴散らし四冢を陥落させ、そのまま樊城を包囲している関羽軍を撃破することに成功します。

 

 

関羽 男だち

 

長躯直入はこのときの徐晃の行動が由来となってできた故事です。そして名将と呼ばれる人物の多くが故事があるように徐晃にも故事があるので名将と呼ばれる人物だとは思いませんか。

 

 

徐晃が名将な理由その3:多くの歴史家が高評価!!

三国志のモブ

 

私達が三国志の事をよく知っているのはマンガやアニメ、ゲームが元になっていると思いますが、三国志を今日まで広めたのは多くの歴史家たちのおかげと言えます。その歴史家達が徐晃を高評価しており、この点も彼が名将と呼べる所だと思います。

 

 

晋蜀の産まれ 陳寿

 

 

例えば正史三国志を編集・執筆した陳寿(ちんじゅ)は魏の中で活躍した将軍の一人に徐晃を挙げています。また宋の時代のある兵法家は中国の歴代将軍の中の一人として徐晃を数えています。

 

晋の陳寿

 

 

さらに南宋時代のある政治家は少ない兵力で敵兵を破った将軍の一人として徐晃を数えています。この点をもって徐晃が名将の一人に数えられるのではないのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

 

レンは上記三つの理由から徐晃が魏の名将の中の一人だと考えるのですが、皆様は徐晃が名将の一人として数えることのできる人物だと思いますでしょうか。

 

【参考】 正史三国志魏書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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