稀代の天才軍師、諸葛亮孔明……という見出しというか、キャッチコピーを良く見かけます。取り敢えず一番に思うのは「姓と名と字とぜんぶごっちゃだ……」なのですが、同時にふと湧き上がる疑問。
それは、諸葛亮は本当に頭がいい、と言える存在だったのか?今回はそういった諸葛亮とその頭脳への「評価」について。そこに注目して考えていきたいと思います。
この記事の目次
諸葛亮と三国志演義の関係、ここから分かる「頭の良さ」がある!?
さて諸葛亮が如何に天才か、天才軍師か、頭がいいか……ということを語る上で外せないと思うのが、三国志演義の諸葛亮。……と、言うと「三国志演義は創作のお話でしょ!それじゃあ諸葛亮が賢いかどうかは分からないよ!」と言われてしまうかもしれません。
確かに三国志演義はあくまで創作、実際にそんな戦いは起きていなかった、そんなことはしていなかった、そこから「ちょっと幻滅……」みたいなことになることも多いかもしれませんね。しかし、筆者はこここそが「諸葛亮が頭いい」という認識が当時の人々にあった、ということが良く知れるポイントだと思っています。
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諸葛亮が「頭いい!」というのは当時の人たちの共通認識!?
例えば実際にはなかった、というか孫権の逸話を流用したのでは、と祝える赤壁の戦い前の孔明の矢集め。筆者は確か横山三国志でこれを見て「ほえー諸葛亮って頭いいなぁ」と思いました。そこには確かに色々な情報を知らなかったから、という理由もありますが。
このエピソード、実際に本当に頭が良い、といっていい話です。そしてそれを諸葛亮がやっていることに読者は違和感を覚えません。これは当時の三国志演義に親しむ人々にも言えることですが、例え知らなかったとしても、そこで「諸葛亮はそんな賢いことをしても違和感を覚えない」が下敷きにあると思うのですよね。諸葛亮は頭がいい、それは人々にとっての共通認識でもあると思います。
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諸葛亮ってぶっちゃけ何をした?どうして諸葛亮は天才と言われるの?
諸葛亮は何をしたのか、それを言われると難しい問題です。何故なら諸葛亮は数多くの進言や言葉で劉備を手助けし、一国の王にし、その政治を支え、更にはその遺志を引き継いで戦い続け、更には勝てなかったからです。
天才と言われる諸葛亮であっても、事実、何かを成し遂げたか、と言われると難しい問題となります。ある種、ライバルのように扱われる司馬懿の方が色々なことを成し遂げた、とも言えるのではないでしょうか。
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諸葛亮の能力で優れている所は?戦はいまいちってほんと?
「ん?じゃあ諸葛亮が頭がいいって認識は間違っているってこと?」と思われるかもしれませんが、もう少しお付き合いを。ここで諸葛亮の能力について、良く言われている「政治は最高だけど戦はいまいち」という話について。
まず政治能力がおかしいレベルで高い、これは何度も戦をしているのに自国の経済が破綻していない時点で良く分かる能力です。では軍略的な能力はどうだったかというと、実際にはそこまで諸葛亮は軍を率いて戦っていない、ということがまずは挙げられます。
劉備の死後の南部の平定、及び北伐が諸葛亮が軍を率いて戦う注目の場ですが、南部は置いといて北伐は結局成功しませんでした。これは諸葛亮の能力がどうとかではなく、他の誰が率いてやっても勝てなかったのでは……それくらい、蜀と魏の国力差は大きすぎたのです。逆に負け方が上手であると評価できるので、これだけで諸葛亮が軍略が下手、とも言いきれないと思いますね。ただこういうこともあって、三国志演義では軍略の天才めいた諸葛亮がたくさん見られるのかもしれません。
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諸葛孔明が「賢い」と言われる理由を考えてみた
ここで筆者が「諸葛亮が賢い」と言われる理由を一つ、述べたいと思います。諸葛亮、敵を作りません。信賞必罰は当然としても、例えば李厳が「諸葛亮が死んだなら復帰は無くなった」と嘆くように、罰を与えられた側がそれで希望を失って自棄に走るということもなく、まだ希望を与えられるような人物であったと思われます。
これは凄いことです。あくまで身を弁え、他人と接し、主君への忠義に身を尽くす。多くの人がその生きざまに魅了される。これこそが、諸葛亮が賢いと言える理由の一つになるのではないでしょうか。
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諸葛亮が本当に凄いと思うその「ワケ」 何をしたかは、問題ではない
三国志演義で諸葛亮が本当は別の人物のエピソードを使っている……まあ三国志演義の著者が諸葛亮でないのですから、これは諸葛亮へのお門違いな文句ですけれども。それを知って尚、楽しめる、諸葛亮であるなら、その賢さに納得できる、諸葛亮は頭がいい、となる。
これらは諸葛亮が多くの民衆に好かれているから、そしてそれは、当時の生きざまが影響しているから。実際に、何をどうして、どんな結果を出したかは問題ではないのです。ちょっとおかしな言い方ですが「諸葛亮ならば仕方ない」と、そう思われるだけの生き方をしたからこそ、諸葛亮は頭がいいと言われるのではないか、筆者はそう思うのです。
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諸葛亮ってイケメンなの~?
さて最後に、ちょっと気になるお話への返答になるかは分かりませんが。「諸葛亮って本当にイケメンなの?」という疑問にお答えしたいと思います。
まず「身長八尺、容貌甚だ偉にして」という一文が諸葛亮伝に乗せられています。つまり高身長であり、容姿も優れていた、と言えるでしょう。それと同時に、漫画化や映画化すると諸葛亮のビジュアルって良い印象が強いですよね?これに関しては「諸葛亮がメインキャラクターだから」という答えがあります。
容姿が良いという記述に加えて、じゃあどんなビジュアルをしているかという細かい設定はなく、メインキャラクターの一人でもある。これらの点を合わせて、諸葛亮は基本的に容姿が整っている存在として描かれる、良く言われる「イケメン」として描かれるのでは、と推理してみましたが、皆さんはどうお考えですか?
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三国志ライター センのひとりごと
三国志演義では諸葛亮が美化されちゃっている~という嘆きのような呟きを見かけますが、永く語られてきた三国志演義ですからそう言われたこともあったでしょう。しかしそのエピソードが諸葛亮のものではなかったとしても、諸葛亮だというだけでも評価して差し障りはない。
個人的に「そう思われる生き方をしてきた」のだと、多くの人に判断されてきた。それこそが、諸葛亮の賢さではないかと筆者は思うのです。ちゃぽーん。
参考:蜀書諸葛亮伝
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