広告

張遼が泣き声に応える!恐怖の戦士の[実話]

2024年5月16日


 

張遼

 

「あんまり泣いていると鬼が来ちゃうよ!」

 

張遼が夜泣き対策となった赤ちゃん

 

こんな脅し文句を使っているお母さんを見たことはありませんか? 最近では「泣いていると鬼から電話が来るよ!」なんてことになってきているようですが…。実は、その言葉は元々、「泣いていると張遼(ちょうりょう)が来るぞ!」だったのだとか。そんな泣く子も黙る張遼とはどのような人物だったのでしょうか。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



流れに流される張遼

敵を相手にして奮闘する張遼

 

張遼は元々丁原(ていげん)の配下でした。丁原は『三国志演義』で、皇帝の位を密かに狙う董卓(とうたく)に対して強く反発。董卓がそんな目の上のたんこぶ・丁原を暗殺しようとした結果、戦が勃発。

 

高順と張遼

 

当時、丁原の配下にいた呂布(りょふ)はその武勇で董卓軍を蹴散らします。そこで董卓は呂布の鼻先に釣糸を垂らします。釣餌は呂布の親友の李粛(りしゅく)

 

呂布に殺害される丁原(ていげん)

 

この口上手な釣餌に見事引っかかった呂布は丁原をあっさり裏切ったのでした。このとき、呂布は丁原の兵も全て董卓にプレゼント。その中に張遼はいたのです。昨日の敵が今日の君主になってしまった張遼。その不幸は続きます。

 

王允と呂布

 

王允(おういん)の策略で仲違いした董卓と呂布。今度は呂布が怒りに任せて董卓を斬殺します。こうして張遼の主君は呂布に。ここまで、自分の意志とは裏腹にコロコロと主君を変えざるを得なかった張遼。なんとも不憫な彼ですが、ついに運命の主君と出会う日が訪れるのです。

 

 

運命の主君との出会い

曹操

 

張遼は元の自分の主君・2人を裏切った呂布にも忠義を尽くす男でした。しかし、袁紹(えんしょう)の元へ行ったり、張邈(ちょうばく)の元へ行ったり、曹操(そうそう)との戦で敗れてボロボロのところを助けてくれた劉備(りゅうび)を裏切ったりと相変わらず滅茶苦茶で不義理な呂布。

 

呂布

 

そんな呂布を主君としていることに張遼も次第に迷いを覚えはじめます。そんな折、張遼についに転機が訪れます。呂布が曹操に投降したのです。

 

呂布の助命に対してキレる劉備

 

呂布は必死になって命乞いをします。自分を使えば百人力だのなんだの、ペラペラペラペラ。張遼は情けない呂布を見て、ついにブチ切れてしまいます。「この匹夫が!もう死ぬしかないんだ!一体何をそんなに恐れているんだ!」

 

高順が呂布に疎んじられた理由07 高順

 

そう叫んで、ついでに曹操も罵倒。曹操も罵倒するあたり、張遼の呂布への忠誠が窺えなくもない…。その後、首を斬ってくれとこうべを垂れ、首をのばした張遼でしたが、張遼の人となりを良く知る劉備や関羽(かんう)が必死でとりなしたことにより、その命を長らえることになったのでした。今度は曹操に仕えることになるのですが、この曹操こそ、張遼にとって運命の主君だったのです

 

 

曹操の元でようやく開花した張遼

現代でも人気な張遼

 

張遼は曹操の元でメキメキと頭角を現していきました。特に『三国志演義』での活躍は目覚ましいもの。

 

関羽の降伏を説得しにいく張遼

 

関羽と仲が良いということで、戦だけではなく様々な場面で花を持たせられることの多い張遼。そんな彼が正史、『演義』問わず最も華々しい活躍を見せたのは呉との戦・合肥の戦いでした。

 

 

呉人のトラウマ・張遼

行軍する兵士達b(モブ)

 

どうにも折り合いが悪い李典(りてん)楽進(がくしん)と共に合肥に駐屯していた張遼。3人が醸し出す雰囲気の悪さを悟ってか、なんと呉が10万の軍勢を引き連れて襲ってきたのでした。

 

張遼と楽進と李典

 

ところが、危機を前に張遼・李典・楽進の3人は手を取り合います。張遼はわずか800人の精鋭を引き連れて出陣。怒涛の快進撃を見せ、鬼神のごとき勢いで孫権(そんけん)の喉元まで迫ります。

 

孫権

 

これには孫権も驚いて退却。「孫権、丘から下りてこい!一騎打ちじゃあ!!」と叫ぶ張遼。丘の上から張遼を見下ろしたところ、張遼軍の数が極端に少ないことを知った孫権。人海戦術で張遼軍を取り囲みます。

 

曹操の元でようやく開花した張遼

 

ところが、張遼は破竹の勢いで包囲網を次々突破。敵に囲まれてピーピー泣き喚く味方も助けてまわりながら、孫権軍の中を暴れまわります。この勢いに腰が引けた孫権軍の兵たちにあえて張遼と当たる者はありません。半日間衰えも見せずに戦場を駆けまわる張遼を見て、呉軍の士気はすっかり下がってしまいました。

 

張遼の猛攻に泣きながら逃げる孫権

 

孫権はこれを受けて撤退を決意。ところが、張遼がそれを許してくれません。猛烈な勢いで追いかけてくる張遼軍を相手に呉軍も必死で逃げますが、なんと退路として当てにしていた橋が落とされているではありませんか!眼前に迫る張遼。ここで落ちれば、呉もそういう運命だったのだ!思い切って馬で対岸まで跳んだ孫権。

 

合肥の戦いで痛い目にあった孫権

 

孫権は命からがら逃げ延びたのでした。このことがあってからは、呉人は張遼の名前を聞くだけで震え上がる始末。泣く子も黙る張遼として呉人にトラウマを植え付けたのでした。

 

 

 

勝って兜の緒を締める

張遼

 

呉を見事退却させた張遼に曹操も大満足でしたが、当の張遼はあまり浮かない顔。

 

愛馬に乗る張遼

 

誰が孫権かわからなかった張遼は、後で孫権が誰だったかを知り、「アイツだとわかっていたら、すぐにとっ捕まえてやったのに!」と惜しがるばかりで、勝利を鼻にかけるようなことはなかったようです。

 

進撃が止まらない張遼

 

なんともストイックな張遼。戦いぶりだけではなく、その人となりも名将と呼ぶのにふさわしい人物です。

 

※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。

 

▼こちらもどうぞ

張遼の一騎打ちは本当なの?史実の一騎打ちを紹介

 

 

-外部配信