水滸伝は何時代・何王朝?北宋末期|日本だと平安末期にあたる

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

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おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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水滸伝って何? 宋江

 

水滸伝の舞台は、北宋の末期だ。西暦でいうと1100年代の前半にあたる。ただ、小説として書かれたのはそれより350年ほどあとになる。この記事では舞台の時代と書かれた時代を分けて見ていく。んで、最後に「梁山泊の物語は、国が滅びる2年前に終わっている」という話までする。

 

水滸伝は何時代?北宋末期・徽宗の治世

徽宗は北宋の第8代皇帝

 

項目 内容
王朝 北宋(960年〜1127年)の末期
物語の期間 嘉祐三年(1058年)〜宣和七年(1125年)
中心となる時代 徽宗の治世(1100年〜1125年)
小説が成立した時代 元の末から明の初め(14世紀ごろ)

 

水滸伝って何?

 

物語は嘉祐三年、地中に封じられていた百八の魔星が解き放たれる場面から始まる。そこから宣和七年まで、およそ70年が描かれる。好漢たちが梁山泊に集まるのは、その終わりのほうだ。中心になるのは徽宗の治世、1100年代の前半になる。

 

 

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日本でいうと、いつごろか

源 雅信_平安時代

 

物語が終わる1125年、日本は平安時代の末期にあたる。白河法皇が院政を敷いていた時期で、武士はまだ政権を取っていない。平清盛が生まれたのが1118年とされるので、ちょうど物語の終盤あたりに赤ん坊だった計算になる。源頼朝の誕生は1147年で、まだ生まれてもいない。

 

木曾義仲(源義仲)武士 鎌倉

 

学校で習う年表に当てはめると、鎌倉幕府のずいぶん手前だ。教科書だと2ページくらい前になる。

 

中国(北宋) 日本
1100年 徽宗が即位 白河法皇の院政期
1118年 物語の終盤にあたる時期 平清盛が生まれる
1121年 宋江の乱(史実) 同上
1125年 物語が終わる 院政期のなかば
1127年 北宋が滅ぶ 同上

 

三国志が2世紀から3世紀の話なので、水滸伝はそれより900年ほどあとになる。同じ中国史でも、間に唐がまるごと入る距離だ。

 

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水滸伝入門ガイド

 

 

舞台の時代と、書かれた時代は350年ちがう

水滸伝って何? 書類や本

 

水滸伝が小説としてまとまったのは、元の末から明の初めごろだ。物語の舞台である北宋末期からは、350年ほど離れている。北宋の人が書いた話ではない。宋江の乱から数百年かけて、講釈や芝居で語り継がれるうちに人数が増え、話が膨らみ、最後に一冊の本になった。長いあいだ、僕はこれを北宋の同時代人が書いたものだと思い込んでいた。梁山泊の描写がやけに生々しいので、見てきた人が書いたのだろう、と。調べてみると違った。この作られ方、どこかで見たことがある。

 

 

三国志演義とまったく同じ作られ方

三国志演義_書類

 

三国志演義も、三国時代の出来事を明の時代に書いたものだ。舞台は2世紀から3世紀、成立は14世紀。あいだに1100年以上ある。水滸伝も同じで、北宋末期の話を明の初めに書いている。どちらも出来事から何百年もたってから、物語として形になった。

 

三国志(歴史)を誇張しまくる羅貫中

 

作者とされる施耐庵と羅貫中の関係についても諸説あって、羅貫中が三国志演義の作者でもある。中国の四大奇書のうち2つが、同じ時期に同じような作られ方をしている。

 

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史実の宋江は1121年に乱を起こしている

水滸伝の宋江

 

宋江という人物は、実在の記録に残っている。『宋史』には、宣和三年(1121年)に宋江らが淮南で乱を起こしたと書かれている。徽宗の治世の終盤だ。

 

宋江 水滸伝

 

記録に残る規模は、ずいぶん小さい。『宋史』侯蒙伝には「宋江三十六人」とあり、108人ではない。研究では、この36は頭目の数を指すと見られている。それでも「官軍数万が手を出せなかった」と書かれているので、腕は立ったのだろう。

 

宋江、花栄(水滸伝)

 

宋江は同じ年の五月、海州の知事だった張叔夜の伏兵にかかって船を焼かれ、捕らえられている。乱そのものは数か月で終わっている。実在した小さな反乱が、語り継がれるうちに三倍の人数になり、天から降りた魔星の物語になった。この膨らみ方そのものが水滸伝だと思う。

 

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なぜ北宋末期が舞台なのか

 

徽宗は書と絵に長けた皇帝として知られている。芸術家としては一流だった。

高キュウ(高俅)

 

ところが政治のほうは側近に任せきりで、蔡京や高俅のような人物が力を持った。高俅は蹴鞠の腕を気に入られて出世した男で、水滸伝では林冲を陥れる役どころになる。役人が腐り、まっとうな者ほど居場所を失う。そういう時代でなければ、好漢が山に集まる話は成り立たない。

 

 

徽宗の庭のために、民が潰れていく

 

徽宗は艮岳という巨大な庭園を造るため、珍しい石や樹木を各地から都へ運ばせた。これを花石綱という。運搬の負担は民にのしかかった。

 

 

水滸伝でも楊志という好漢が、この花石綱の輸送に失敗して身を持ち崩す場面から登場する。物語の設定が、当時の実際の政策とつながっている。作者が数ある乱のなかからなぜ宋江の乱を選んだのか、そこは決め手を持っていない。同じ時期には方臘の乱という、もっと規模の大きい反乱も起きている。花石綱の負担が引き金のひとつになった乱だ。

 

北方謙三三国志

 

 

外からも押されていた

水滸伝 風采、人格、気品を備え 棍法に優れた盧俊義

 

このころの北宋は、北の遼に金を払って平和を買っていた。やがて新興の金と手を組んで遼を滅ぼすのだが、その金が今度は南下してくる。内側は腐り、外側からは押される。水滸伝の好漢たちが暴れているのは、そういう国だ。

 

 

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北宋・南宋

 

水滸伝の時代についてよくある質問

水滸伝は何王朝の話?

 

北宋だ。960年から1127年まで続いた王朝で、水滸伝が描くのはその末期にあたる。

 

何年の物語なの?

 

嘉祐三年(1058年)から宣和七年(1125年)まで。好漢が梁山泊に集まるのは終盤の1100年代前半になる。

 

 

宋江は実在したの?

 

実在の記録がある。『宋史』に宣和三年(1121年)の乱として記されている。史書に伝わる人数は36人で、108人は物語のなかで膨らんだ数だ。

 

 

三国志と水滸伝、どちらが古い時代の話?

 

三国志だ。2世紀から3世紀の話なので、水滸伝より900年ほど古い。小説として書かれた時期は、どちらも明の初めごろで近い。

 

 

いつ書かれた小説なの?

 

元の末から明の初め、14世紀ごろとされる。舞台の時代からは350年ほどあとになる。

 

 

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水滸伝入門ガイド

 

水滸伝ライターおとぼけの独り言

はじめての三国志主宰 おとぼけ(田畑雄貴)

 

年表を作っていて、手が止まった箇所がある。物語が終わるのが1125年。北宋が滅ぶのが1127年。2年しかない。

 

梁山泊(水滸伝)

 

梁山泊の好漢たちが暴れて、招安されて、方臘を討ちに行って、その多くが死ぬ。あの長い話が終わった2年後に、彼らが命がけで戻ろうとした国そのものが消えている。作者がそこまで計算して年代を置いたのかは分からない。ただ、あれだけの人数が国のために死んで、その国が2年で滅ぶという並びは、知って読むと後半の重さが変わってくるのかもしれない。

 

 

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おとぼけ(田畑雄貴)

おとぼけ(田畑雄貴)

数々のブレストと思いつきで場を散らかした後、権限委譲と言い放ち、kawauso編集長に丸投げし去っていく。インターネットの不特定多数無限大の可能性にロマンと情熱を捧げる「はじめての三国志」の創設者。創造的で自由な発想が称賛や批判を創発し、心をつかむコンテンツになると信じている。各メンバーのパーソナリティを尊重し、全員の得意分野を活かし、補完し合うチーム作りを目指している。

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